FC2ブログ

西行こぼれ話その四-西行橋-

穂高 275-2s
涸沢の雪渓を行く

さて,西行の話から西行伝説まできました。
今月登った穂高の写真を見ながら続けます。

「冬萌(ほ)きて夏枯れ草を刈っている」と西行にわざと謎かけをする童。
なぞなぞが分からず困ってしまう西行。
にんまりとする童。

西行の戻しの橋では
「その絹を売るか」と西行が尋ねれば
「鮎にだったら売る」と答える。(うるかは鮎の塩辛のこと,売るかと鮎の塩辛のうるかを掛けている)
西行はそれが分からず,引き返す。

西行桜では
猿のように素早く木に登る子どもを見て
「猿稚児とみるより早く木に登る」と西行が言うと
すぐさまその子が
「犬のような法師(西行のこと)来たれば」と動物に掛けて返す。
西行はこりゃかなわんと引き返す。

西行戻し石では
わらびを摘むのに手を焼くなとわらび採りの子どもに言うと
おまえこそ「ひのきの笠でずこ(頭)焼くなよ」と西行にやりかえす。
西行はこりゃ負けたわと引き返す

これらの各地に残る西行戻しの伝承は歌の返しとされたり,歌の中にこめられた言葉遊びだったり,とんちやだじゃれ,はぐらかし,落語の蒟蒻問答だったりするところにおもしろさがあります。

穂高 301-2s
夕焼け色の涸沢テントサイト

柳田国男は「西行橋」の論考の中で伊賀の阿郡の木遣り歌を引いています。


さて西行のぼーさんが はじめて東へ下るとき 熱田の宮に腰を掛け かほど涼しき此の宮を 熱田の宮とだれ言うた
そこで神主言うことにゃ 西行とは西に行くと書くのに 東(あづま)下りとはこれいかに アーエンヤノエーン


涼しい場所なのに地名は熱田とはこれいかに
西行なのに西へ行かず東(あづま)下りとはこれいかに
と言葉遊びをしているのです。

柳田国男は橋の歌占いがあったと述べ,渡る渡らないが占いの対象ともなる場所だったのではないかと言う。枕草子の「歌詰橋」や静御前が義経の死を知って引き返した橋を思案橋という等,橋そのものに神からのお告げが立ちやすい場所という考えが昔からあって,橋のたもとに占い師がいたのではなかったかと予想している。

西行を小馬鹿にした童や女達はすべて仏の化身ではないかとも言われ,歌の名手である西行にわざとひやかしの形で親しみを込めて遊んでやっていた。西行はいじわるな仏の化身達を相手に困り果て,来た道を戻っていった。

穂高 423s
北斗七立つ

ここには,親しみを込めて揶揄するという,人のコミュニケーションの遊びが存在しています。親しみを込めるからこそ「ため口」で話すとか,友達を皮肉って言うとか独特の笑いがその間に立ち昇って階級意識も無化する空間ができていきます。なぜ西行なのかと問えば,歌の神様だって外から見たらぼろをまとった犬のような奴さ。と親しみを要求するという空間が西行伝説の中にはあります。そしてそこに西行が全国の多くの人々の心の中に生き続けていることが分かってきました。西行を揶揄する素振りで限りない親しみを表そうとする庶民の気持ちのもち方にも心動かされるものです。義経東下りや政略によって流された人々の哀しい怒りがこんな形で生き続ける不思議を感じます。


にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村
にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ
にほんブログ村
関連記事