FC2ブログ

外の浜と鳥の話-菅江真澄『外の浜づたひ』-

写り込み
伊豆沼。オリオンの写り込み

青森の「外の浜」は歌枕にもなっている地です。
昔から歌詠みにはこの最果ての地「外の浜」は何か遠い国へ誘われるロマンを感じさせるように響いていたのかもしれません。
「みちのくの 奥ゆかしくぞ 思ほゆる 壺の石文 外の浜風」(山家集1011)と,外の浜を詠んだ西行が実際に外の浜に来たのか,私は9/2までの記事「西行こぼれ話」で7回にわたって書いてみました。そして「雁風呂」という心温まる話が外の浜にはあると昔から伝えられています。しかし,実際のところは外の浜の歴史の記録にも伝説にも「雁風呂」の話はなかったのです。

では「雁風呂」という話と「外の浜」というところがなぜ結びついて伝わっているのだろう,と不思議に思います。
単なる想像の域を超えませんが,鳥の話に関係している,と私自身は勝手に思っているところがあります。それは,まず「うとう」の話です。「うとう」というのは鳥の名前です。

ウトウ
Wiki「ウトウ」より
そしてこの鳥は能や謡曲で有名になりました。
善知鳥(うとう)は、能の演目のひとつ。ウトウという鳥を殺して生計を立てていた猟師が死後亡霊となり、生前の殺生を悔い、そうしなくては生きていけなかったわが身の悲しさを嘆く話。人生の悲哀と地獄の苦しみを描き出す哀しく激しい作品となっている。
Wiki「ウトウ」より
この「ウトウ」は「善知鳥」とも書かれます。
この鳥は親が「うとう」と言うと子が「やすかた」と答えると言われていて,この習性を利用して,猟師が「うとう」と呼んで鳥をおびき寄せて捕るわけです。その猟師が殺生の末に死んでもうかばれず僧の前に亡霊となって出てきて,どうか自分の罪を許して成仏できるようにしてもらいたいと頼むわけです。

「陸奥の外の浜なる呼子鳥(よぶこどり) 鳴くなる声はうとうやすかた」と謡曲で歌われます。この「呼子鳥」が「うとう」のことです。
外の浜はまず,この「うとう」で有名な地でした。鳥の供養の意味の話です。この鳥の供養と「雁風呂」が微妙に結びついているのではないかと思うのです。

そこで出してきたのは菅江真澄です。この菅江真澄という人は外の浜を訪れ,「うとう」の話に強く心動かされて後年(文化末年頃と言われています)「うとう考」という論も書いています。菅江真澄が外の浜を訪れたのは1788年7月9日で,『外の浜づたひ』には「やませ風強くふく」と始まっています。
わたしはこの『外の浜づたひ』を読むと,北の辺境の地の景色とともに何か晴れていても肌寒い陽差しのようなさみしさを感じるのです。それはこの中で語られる話によるものかもしれません。やはり鳥の話なのです。「うとう」ではありません。「鶴」の話です。

朝121 264-tr
蕪栗沼にやってきたタンチョウヅル

菅江真澄が油川という泊りにやってきました。
この地は昔沢地につるが子を生んだ。(その野火の中に子が取り残されてしまった)野火にかかって焼け広がるのを愛する子を思う心から,飛んできて羽を焼かれ,(親の)鶴は羽をばたばたとさせながら落ちた。そして親子共に死んでしまった。
その鶴の油が流れた。大浜のまたの名を油川山の左手に「鶴神」という社あり
なんとも哀しいお話です。

このように鳥にまつわる哀しい話が青森の外の浜にあって,それに関連して鳥の話が自然と集まってきたのではないでしょうか。「うとう」の話,「雁風呂」の話,そして今の「鶴」の話。
どの話が始めなのかは分かりません。年代別に話が見つけられた順にすると「うとう」の話,「雁風呂」の話,「鶴」の話の順かもしれません。いずれにせよ生き物を心から慈しむこれらの話がすべて「外の浜」でつながっているという不思議。
最果ての北の地に流されたのか「うとうやすかた」という人物から,鳥の話になり,「雁風呂」の話になり,そして義経の逃れてきた話にもなっていく青森の地に魅力を感ぜずにはいられません。

そう言えば太宰治の「津軽」に出てきた蟹田のかやきの話。客人を歓待する話。なんとも人情に厚い歓待ぶりの話は外の浜の人の話ですよね。


クリックしてね
にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ
にほんブログ村
にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ
にほんブログ村
関連記事