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日記について-串田孫一のことば-

栗駒山1014 081s
栗駒山霧の朝の日の出

串田孫一は1915年(大正4)の生まれだが,『日記の欺瞞』という文を読むと1924年の正月から日記をつけ始め,死ぬまで日記を書いていたようだ。9歳から日記を書いていたことになります。そして「現在92冊目の帳面に書いている」とあるから死ぬまでには100冊を超えるノートにその日に感じた事々を記していたと思われます。

その串田がへ行ったときにどんな記録を取っていたかは,彼の歩きを知る上では大切なことでしょう。なぜなら彼の著作は日記の記録を起こすところから始まっていることはかなり確からしく感じます。串田自身が戦後まもない時期の28冊目から29冊目の日記をそのまま出版するということまでしているし,読書では様々な人の日記を興味深く読んでいる様子もうかがえます。
しかし作品を読むと,に行った日付や時刻や費やした時間などの記録のほとんどが抜け落ちて,そので感じた小さなことに紙面を費やして終わっていたりします。あえて書かないのでしょうか。どうも彼は山について感じたこと,景色から連なった連想,突然に湧き上がってきた断想などに悦びを感じているところがあります。
では山でもそんな記録の取り方だったのでしょうか。
ちがうようです。

蕪栗の浅 077s
蕪栗沼の朝

彼は1978年の覚書(『Eの糸切れたり』所収)で,山行の記録を次のように言っています。
天気図,雲の種類,雲量,雲向,風向,風力,降水量,気温などを記し,動植物その他の記録ももっと詳しく書いていた。一日も欠かしていない
となると重要な記録はすべて取っていたようです。特にと言っているので山行ではこのうち抜けている記録もあると思いますがかなりの記録です。こんなに記録を取っておいているのに,作品ではいきなり「あの朝は」で始まり,日付も,時刻も,天候もわからないように作品は進むのです。

蕪栗の浅 027s
蕪栗沼の朝

彼は記録の中から,すべてをそぎ落として残ったものの中にその山行の印を見いだそうとするかのようです。すべてをただ書き連ねることをよしとしません。その山が彼自身にもたらした感覚や徴(しるし),突然湧き上がってきた記憶,心の底から見いだされたことば,花,なんでもない出来事こそが彼の山登りなのです。
そんなところに串田孫一のスタイルが見いだされます。


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