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栗駒山紅葉の思い出-串田孫一のことば その5紀行文の虚と実-

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栗駒山紅葉の思い出(今年の写真ではありません)御室の上から眺める栗駒山

串田孫一(1915-2005)のことを書いていますが,何と言っても彼の業績はの文芸誌『アルプ』の中心にいたということでしょう。の文芸誌『アルプ』は,1958年3月に創刊され1983年2月まで300号25年にわたって続けられました。の雑誌としては極めて長命で,お洒落な絵や文が贅沢に盛られた雑誌だったようです。私自身はその『アルプ』をまだ見ていませんが,一時代を画した山の雑誌だったことは確かで,後でじっくりと図書館で読みたいと思っています。

さてここに山口耀久(あきひさ)著『「アルプ」の時代』(2013)という本があります。
串田孫一を読む人はこの本に結構興味を抱くと思いますが,内容そのものもおもしろかったので紹介します。
そして今日のタイトルは「紀行文の虚と実」にしました。『「アルプ」の時代』の中の「紀行文における虚と実」をなぞりながら書くことにします。

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朝の光差し込む

井伏鱒二の放屁事件から始めます。
太宰治の『富嶽百景』という小説があります。
太宰が甲州御坂峠の天下茶屋に小説を書きに出かけます。その天下茶屋の二階には師匠の井伏鱒二が既に執筆真っ最中です。ある日二人は富士を見に三ツ峠へ登ります。
とかくして頂上についたのであるが,急に濃い霧が吹き流れてきて,頂上のパノラマ台といふ,断崖の縁に立ってみても,いっこうに眺望がきかない。何も見えない。井伏氏は,濃い霧の底,岩に腰をおろし,ゆっくり煙草を吸いながら,放屁なされた。いかにも,つまらなさうであった。パノラマ台には,茶屋が三軒並んで立っている。そのうちの一軒,老爺と老婆と二人きりで経営しているじみな一軒を選んで,そこで熱いお茶を飲んだ。
この中の井伏鱒二が「放屁なされた」ということについて,井伏自身が「亡友」という中で否定しているそうです。

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ブナの林を見下ろして鳥の群れ

井伏曰く
太宰治の「富嶽百景」といふ作品の中に私といっしょに三ツ峠にのぼったときのことを書いている。三ツ峠の頂上で,私が浮かぬ顔をしながら放屁したといふのである。これは読み物としては風情ありげなことかもしれないが,事実無根である。ところが,この放屁の件について,当時は未知の仲であった新内節の竹下泰久といふ人から手紙が来た。「自分は貴下が実際に三ツ峠の嶺に於いて放屁されたとは思わない。自分の友人もまたさう云っている。自分は太宰氏の読者として,また貴下の読者として,貴下が太宰氏に厳重取り消しを要求されるやうに切望する」さういふ手紙であった。

井伏はこの手紙を太宰に見せ,放屁しなかったことを話した。
太宰は腹をかかえて笑いながら,「たしかになさいました。一度ならず二度も」と言い,「山小屋の髭のじいさんもくすっと笑いました。」と言った。しかし,山小屋の髭のじいさんは当時八十何歳で耳がつんぼ(聾)であったという。

こんな落ちもついています。この話はまあ笑えます。

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ブナの黄葉が映える

著者の山口耀久(あきひさ)は,あくまでこの放屁事件を紀行文における虚と実という面からとらえています。この放屁があってもなくても,表現の効果としては霧に遮られて見えない富士に退屈にしている様子を伝える上では「放屁なされた」という敬語まで使うことは効果絶大でしょう。つまり「虚」が事実以上にリアリティーをもつことがあります。山口氏は更に芭蕉の「荒海や佐渡に横たふ天河」という句を調べると佐渡に天の川が横たふ状態は実際にはないのだと述べます。では紀行文としてはこの「放屁」という嘘は許されるのでしょうか。そんなことはないのです。「実が尊重される」紀行文ではしばしば人はその表現の効果を考えて,都合のよい状態をしつらえる誘惑が起こることも確かでしょう。ちょっと誇張して言うという,あの心理です。しかし,アウトでしょう。
原稿の依頼の目的にも依るでしょうが,論文として要請されたら「虚」はもちろんアウトになります。

かつて小島烏水が1904年(明治37)に『太陽』に載せた紀行文「甲斐の白峰」が実は2年前に発表されたウォルター・ウエストンの「甲斐ヶ根の登山」の焼き写しであったということがありました。もちろんアウトです。


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朝靄晴れゆく

串田孫一は「紀行文について」という作品で自由に書くことも大切にしていますが,場合に応じてという条件をつけながら次のようにまとめています。
紀行文には単に創作を加えてはならないことだけでなしに,場所と年月日を正確に記述して置くことも絶対条件であることを考えれば,日記に接近し,結局は旅日記となる傾向が強い。
紀行文には記録としての価値があるためだということです。それを読んで登山の計画を立てる人もいるからです。ある面で命にも関わる場合もあるでしょう。そんなときには正しい記録の紀行文が提供されなくてはいけません。

今日の本
山口耀久(あきひさ)著『「アルプ」の時代』(2013)
アルプの時代




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