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紀行文の可能性-串田孫一のことば その6-

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栗駒山を夜歩く

ここに口耀久(あきひさ)著『「アルプ」の時代』(2013)という本があります。

の文芸誌『アルプ』という本があって,1958年3月に創刊され1983年2月まで300号25年にわたって続けられました。の雑誌としては極めて長命で,お洒落な絵や文がふんだんに盛り込んだ贅沢な雑誌でした。登りと文学がいかに深くつながりのあるものであるかを見つめた,言わば新ジャンルを確立した雑誌でした。その中心にいたのが串田孫一であり,同人の口耀久(あきひさ)他匆々たる面々が名を連ねています。執筆者も贅沢でした。またこの本を企画した創文社という出版社も時代に乗ったいい企画をしたものだと思います。86歳という高齢にむち打って書き上げた山口氏の,生き証人としてのこの貴重な記録は古きよき時代を思い起こさせる情熱に満ちていました。もともとこの本は,2006年4月から15回連載で『山と渓谷』に載ったものを元にしています。

さてその山口氏がこの本の最終章「補遺として」で,思い返せば『アルプ』は山の雑誌でありながら,意外にも紀行文が少なかったと追想しています。創刊号には深田久弥の「神流川を遡って」という紀行文があり,また他にも優れた作家がたくさんいながら山岳紀行文は少なかったと言います。桑原武夫の言葉を借りて
文学としての紀行文となるより他はない。・・・われわれはいまだに花鳥風月的な紀行文の過剰にむしろ悩まされているのである。文学としての紀行文にはスタイルがなくてはならない。この場合のスタイルというのは決して表面的な修辞学的意味においてではない。
と引用しながら,山口氏は紀行文に新たな山登りの文学の可能性を見いだそうとしている。

栗駒の天の川 036-2s
栗駒の天の川

文章はその人の個性である。そしてその個性は「感性」に依っている。山登りを最も優れた個性と感性によって紀行文として伝えることがこれからの紀行文の生きる可能性であると考えている。
同感である。

そこで山口氏がその可能性を示す文に挙げたのが串田孫一氏の「島々谷の夜」であった。
                                                                          (続く)


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