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串田孫一の絶筆「道」-串田孫一のことば その8-

栗駒山1030 555s
秋の道

ここに串田孫一の絶筆があります。2005(平成17)年7月8日彼は89歳で永眠しました。そして『新そば』という雑誌に28年間も書き続け,その8月号に載せる『道』というエッセイが最後になりました。

 雨や霧に河原の大小の石がしっとりと濡れ,それに誘われ,流れる川音に囁かれるのを,ひたすら嬉しがって歩いていると,に遊ぶさまざまの命が,頻りに私に歌いかける。
 踊りの稽古なんぞしたことはないのに,その工夫をあれやこれやと,これでいいのかいと心で語り掛けている。
 余程用心をしないと,足許の土や枯葉と一緒に轉(ころ)がり落ちそうな気がする。そしてそれが,月光の差し込んでいる流れ全体にむせそうになる気持ちが,却って嬉しくて仕方がない。つまりそれは自然と共に遊ぶ手段を少し覚えたのだろうか。
 私は一人での夜道を何度も歩いたことはあるが,これに似た記憶はさっぱり残っていない。それは何故だろうか。

夜の沢沿いの情景のようです。
沢を歩きながらその沢のの奥の黒々と劃したの線の上に明るい星空があると思います。その明るい空の真ん中に出たばかりか,やがて沈もうとしているのか,月が出て,瀬を照らしています。河全体が月の光で白く浮き上がって見えます。月は月齢10近くはあるように感じます。歌うように聞こえる水の音は踊りを誘います。つい水の流れる音楽に踊りながら沢を歩き続けています。なんかの楽しみ方を少し覚えたのだろうかと彼は川面から反射してくる光と瀬音のリズムに合わせて踊りながら夜を進みます。しかしもうどこでそんな楽しい歩き方ができたのか。
思い出せません。

栗駒山1030 228s
ブナの二次林を進む

夜道を歩いたことと沢を歩いたことと明るい月と彼の中で一つ一つのスライドが一緒になっているからです。
山を楽しんだ後,彼は必ず手帳からメモをノートに清書していました。かれの山の味わい方のスタイルです。静かに夜道を思い出すとこんな情景が彼の中で出来上がっていくのです。正真正銘の串田孫一の山の情景です。彼は自分の中に静かに透明になっていく山をつくりだしました。想像の転移,記憶の連鎖が山道を一層喜ばしいものに変えていきます。


栗駒山1030 534s
続く道

『山のパンセ』の中の「島々谷の夜」が名品だと言われます。私もその通りだと思います。夜の山の中の道行きが彼のすべての感覚を総動員させるような「気」に満ちていたからでしょう。



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