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宮澤賢治写真帳その5-賢治は室根山に登っていた-

賢治の歩いた室根山
 賢治はこの室根山参道を登っていった

 7/25のブログに「室根山暮色」を載せましたが,山好きの賢治だったら室根山にも登ったのでは・・・と思い,いろいろ調べてみましたが,それらしい記事は見つけることはできませんでした。
しかし,とうとう見つけました。賢治は室根山に登っていたのです。
賢治研究の有名なサイト「賢治の事務所」の新着情報2009.3.9に次のような文を見つけました。

「ところで、賢治全集の年譜で、その頃の状況を参照すると、1925(大正14)年の「秋」、すなわち大船渡線が摺沢駅まで開通した年の記事に次のとおり記載があります。


 県主催、岩手県農業教育研究会が千厩で開催され、出席する。以下、当時視学だった新井正市郎の記述による。
 千厩の旅館についたところ、しばらくして先着の客を女中が案内して来、その客が宮沢と名のり、「県視学も明日は出席するそうですなあ」と言ったので、「私がその視学です」と答えた。
「初対面の私達が一〇年の知己のように打解け得たのは、二人はほぼ同年であり、私も就任日が浅くまだ役人らしくなかったためであろう。-当時の役人には、一種の型があった-宮沢さんは薄衣で下車され千厩までの乗合バスが途中で横転して桑畑に落ちたが、だれも怪我がなかったことや、いつぞや室根山に一人で登った話などは、私を深く引きつけた。眼前に彷彿させるような話術には虚飾がなく、又肉眼に見えていない霊の存在については固い信念を持って居られた。一旦、自室に帰られてから夕食後再び来訪された」(引用終わり)

この大正14年の年譜の下線の箇所をご覧ください。賢治自身が,県視学だった新井正市郎氏に自ら「室根山に登った」と話しているのです。
では,「いつ」賢治は室根山に登ったのでしょうか。推測ですが,大正6年(21歳)の7月の三陸方面視察か,8月から9月の江刺郡地質調査の機会にではなかったかと思います。いかがでしょうか。ご存じの方ご教示ください。



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