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名付けざるものたちの系譜

栗駒山 122s
栗駒山の夜明け

およそ私たちの住む世界を感じ取ると,名付け得た者達は名を持ち,そのものの形を持ち,区別できている。私たちはそれで「分かった」と納得もしている。しかし,それらのものは名付けられたことで留め措かれ止まり,釘をさしたように動けなくなり縛られていることも確かだ。

「魂」はどうだろう。魂の運動の体系化を試みた折口信夫はこう言っている。
天中を行き経る遊離した魂,神が降らせた魂が人体の中府に降りて触れた魂を殖やし整えるということである。
こうして殖え整えられた魂が活動する力をもち、その余韻が威勢をもって外に放たれるのであり,「触(フル)」「威(フユ)」「振」は神を識り、聡く明るく身体剛健、寿命長遠の神術であると説いている。

                                       「折口信夫の霊魂論覚書」小川直之 から
神が降らせて,天中を浮遊している魂はやがて人に入り,落ち着くようになる。その人に合う,相性の良い魂であればその人の中で慈しみ育てられ,活発に活動し始める。相性の悪い魂であれば不活発になる。「タマフリ」の儀式とは,良き魂を呼び,触れて取り入れようとするものだったろう。そして自分も栄えるという。
霧かかるs
湿原に居て

それはそうだとしても私たちがまだ名付け得ぬものもあるだろう。
かつて酸素がまだ見つからなかった折に,酸素のことを脱フロギストン空気と呼んだ。エーテルとも言った。今でもまだ宇宙を組成している68%のダークエネルギーや26%のダークマターの素性が分かっていない。あることは確かだが名付けられていないものがある。たとえば今朝見た夢の意味をまだ見いだせないでいる。はっきりとした形のないもの,流動体,目に見えないもの,または目に見えていながら認識の域に入ってきていないもの,そんなものを例えば「気」と呼ぶこともある。

呼ぶ山
「呼ぶ 夢枕獏岳短篇集」2012/04/30 メディアファクトリー 夢枕 獏

夢枕 獏の「呼ぶ」の冒頭の一編は「深山幻想譚」。「気」を集める男の話だ。山歩きをしていると空気の違う層に入ったのかと思われることがある。またどこか異質な雰囲気が漂う,何か形容できない気配を感じる場所に出くわすこともある。多分,そう感じた時に「気」を感じ取っているのかもしれない。
地球からの〈気〉が抜け出てくるばしょにはね,何というか,宇宙と同質の〈気〉とでもいうものがあるんです。どのくらい昔かわたしにゃわかりませんがね,大昔,地球ができる時に,この大地はその宇宙の〈気〉みたいなものをいろんなものとごつちゃに抱え込んでしまったらしい。
その〈気〉は無機質のものは通り抜け,白い靄のようなもので光の粒がきらめいている,緑色だが微妙に色合いが変わる。時折ピンク色のパール質の光が緑と溶け合うように見える。
その〈気〉はまわりの雰囲気に化ける。〈気〉自体はただの〈気〉と言う。
まさに変幻自在の流動体のようなものである。

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稜線にたなびく

魂と名付けたり,気と名付けたり,幽霊と名付けたり,また漆原友紀は「蟲(むし)」と名付けたりする。漆原友紀の「蟲師(むしし)」のことです。
およそ遠しとされしもの/下等で奇怪/見慣れた動植物とはまるで違うとおぼしきモノ達/それら異形の一群をヒトは古くから畏れを含みいつしか総じて「蟲」と呼んだ

普通の人には見えない生命体の営みから起こる現象であり、この世のあらゆる生命よりも命の原生体に近いものが「蟲」だと想定している。

朝25 793-2ss
1月の凍結した伊豆沼

「蟲」は作品中,「生と死の間、者と物の間にいるもの」、「陰より生まれ、陽と陰の境をたむろするモノ共」、「我々とは在り方の異なる命」などとも説明され、その姿が見える者と見えない者がいるが、稀に全ての人間に見える蟲も存在する。未だ謎が多く姿形も多種多様で、動植物型のものやどちらともつかないもの、虹や雨など自然現象に近いもの、姿形は違えど実際の生物と全く同じ性質を持ったもの。透けているものや光を帯びているもの、物体をすり抜けるものもいる。また、死んでも骸は残さない。(by wiki「蟲師」より部分転載)

この話は後日に続きます。


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