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賢治家路につく

東山砕石工場 2013-01-20 403-2gs
賢治帰る

昨日は初めて宮沢賢治が大船渡線の陸中松川駅に下りたち,東北砕石工場を訪れたときのいきさつをお話ししましたが,撮り鉄がらみでその賢治が帰るというイメージの写真はないかしらと探してみました。

賢治が鈴木東蔵と知り合い,東北砕石工場の手伝いができないかと広告文や「貴工場に対する献策」等を書いていたのですから,もう一生懸命なくらい動けるように病気は回復していたのでした。しかし,父政次郎は技師として花巻にいながら働くことを勧めました。賢治一人の東北砕石工場花巻出張所です。当時賢治は仙台に出ることを考えていました。仙台でもできると踏んでいたのです。

そして昭和5年9月13日。
宮沢賢治は大船渡線に乗って陸中松川駅に初めて下りたって,東北砕石工場を訪れたのでした。

あいにくと東蔵は留守でした。いろいろな案内や説明を丁寧に受けたお礼の手紙を翌日出しています。そこには事業拡張や自分もできるだけ協力したいと書いてありました。もうやる気満々でした。

死ぬ3年前の賢治の最後の炎が燃え立ち始めた技師時代の始まりです。




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