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宮沢賢治「青森挽歌」-なぜ通信は許されないのか-

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朝日輝く

最近「宮沢賢治の詩の世界」というHPの2016年2月11日の記事 「《ヘッケル博士!》という声に関する私見(2)」という文章を読んで,なるほどと思った。

氏は「青森挽歌」のトシの臨終の描写で,トシが「あいつは二へんうなづくやうに息をした 」「けれどもたしかにうなづいた」「たしかにあのときはうなづいたのだ 」と三回も出てくる「うなづく」という言葉から,賢治が何を望んでいたのかを突き止めようと日蓮宗の臨終の際の念仏とヘッケルについての考察を展開している。これが筋がぴったり合ったと私も合点がいったのです。

賢治の詩「青森挽歌」は
こんなやみよののはらのなかをゆくときは

   客車のまどはみんな水族館の窓になる
で始まる私の最も好きな詩です。この中から「うなづいた」が連続して出てくるトシの臨終の場面を引用してみます。
にはかに呼吸がとまり脈がうたなくなり
それからわたくしがはしつて行つたとき
あのきれいな眼が
なにかを索めるやうに空しくうごいてゐた

それはもうわたくしたちの空間を二度と見なかつた
それからあとであいつはなにを感じたらう
それはまだおれたちの世界の幻視をみ
おれたちのせかいの幻聴をきいたらう

わたくしがその耳もとで
遠いところから声をとつてきて
そらや愛やりんごや風、すべての勢力のたのしい根源
万象同帰のそのいみじい生物の名を
ちからいつぱいちからいつぱい叫んだとき


あいつは二へんうなづくやうに息をした
白い尖つたあごや頬がゆすれて
ちいさいときよくおどけたときにしたやうな
あんな偶然な顔つきにみえた
けれどもたしかにうなづいた

      《ヘツケル博士!

       わたくしがそのありがたい証明の

       任にあたつてもよろしうございます》

仮睡硅酸(かすゐけいさん)の雲のなかから
凍らすやうなあんな卑怯な叫び声は……

    (宗谷海峡を越える晩は
     わたくしは夜どほし甲板に立ち
     あたまは具へなく陰湿の霧をかぶり
     からだはけがれたねがひにみたし
     そしてわたくしはほんたうに挑戦しやう)

   たしかにあのときはうなづいたのだ
こう見ると三回も出てくる「うなづく」行為はどうしてもトシの臨終の際に必要なことだったと読めます。臨終の間際にうなづくとは何のことなのでしょう。私見ですが,先日遠野に残る不思議な念仏の竹田賢正氏の論文で,山形立石寺に残る「日蓮秘伝書」が紹介されていたのを思い出しました。その中にこうあります。
最後臨終六字名号一遍唱フ可(ベ)シ,此儀秘ス可(ベ)シ
吾ガ宗人等最期ノ一念六字之名号心ノ内ニ唱テ,口外ニ出スベカラズ是他宗ニ見スベカラズ
臨終の際にこそ念仏を一回唱えることこそ最も大切だということです。何がなくても死ぬときに,念仏を一回唱えることこそが天上界へ行く,生前のすべての科(とが)が消える秘伝なのです。これは心の内で唱えてもいいのです。
賢治はトシが天上に行くために一回だけ念仏を唱えさせなければならなかったのです。トシが「うなづく」という仕草は,わかったよ。唱えたよというサインだったのです。すると詩の中にある「わたくしがその耳もとで/遠いところから声をとつてきて/そらや愛やりんごや風、すべての勢力のたのしい根源/万象同帰のそのいみじい生物の名を/ちからいつぱいちからいつぱい叫んだとき 」という意味は賢治がトシの耳元で「南無妙法蓮華経」と唱えたという意味です。この世をつくるすべてのもの,空や愛,生き物の根源がすべて「南無妙法蓮華経 」の題目の中に入っているのです。
「賢治が題目を唱える-トシがうなづく」という出来事は来世を決める一大事のことなのです。これによってトシがうなづくことがいかに大切なことなのかが分かります。

月の出を迎えてgs
月昇る

しかし,ふと六字名号って「南無妙法蓮華経」は七字(七文字)でしょうと思います。六字名号は「南無阿弥陀仏」です。この差はどういうこと?と思います。秘伝書を読むと,日蓮宗はすぐ他宗を否定するのではなく,天台宗の要素も認めながら日蓮宗に取り込むという文脈がよく分かります。従って南無阿弥陀仏と南無法蓮華経が並んで書かれています。

では最後に「 《ヘツケル博士!/ わたくしがそのありがたい証明の/ 任にあたつてもよろしうございます》」という部分は何を意味しているのでしょう。ヘッケル博士とは「エルンスト・ハインリッヒ・フィリップ・アウグスト・ヘッケル(Ernst Heinrich Philipp August Haeckel, 1834年2月16日 ポツダム - 1919年8月8日 イェーナ)は、ドイツの生物学者であり、哲学者である。ドイツでチャールズ・ダーウィンの進化論を広めるのに貢献した。」(by Wiki)と紹介されています。当時一世を風靡したマルチな学者です。賢治はヘッケルの「生命の不可思議」という本を原書で持っていたそうです。
彼の一元論が鍵です。彼の文章を少し引用してみます。
そこで特に強調したいのは、無機界と有機界は根本的に単一のものであり、有機界は無機界から進化してきたということだ。無機界と有機界にはほとんど明確な差がないのと同様に、植物界と動物界、さらに動物界と人間界の間にも絶対的な差異はないのである」

「それまでのキリスト教的世界解釈に対する一群の経験論的な代案」と考える。自然というものに新たな読みの基準をもたらす考えといってもいいでしょう。すべてのものがつながりを持ち,その果てに有機物も無機物から生じるという道筋を科学的な面から追究しようとした地平に立っている。神ではなく新たな統一概念を導き出そうとしている。ここにはあらゆるものに魂がある汎神論が見えるし,生と死が絶対的な断絶ではない,死は次の生へという輪廻説も補助線として引ける。

トシが死んでも魂は生きていて,次の生へとつながることができる。生きている賢治も今という生を生きているだけで死を繰り返してきた。無機物から有機物へ連続する地平。ここに通信は可能ではないのか。と考えることの可能性が出てきます。もし死んだトシとの通信(交信)ができたら生と死という現象を超えた一元論が証明されることになるからです。「 《ヘツケル博士!/ わたくしがそのありがたい証明の/ 任にあたつてもよろしうございます》」という言葉はそうした証明のことを言っているのではないでしょうか。


このように考えると「青森挽歌」の詩の流れがうまく読み取れるような気がします。そして賢治が抱いていた壮大なる精神の実験が死んだトシとの間になされたということになります。そして《みんなむかしからのきやうだいなのだから
         けつしてひとりをいのつてはいけない》
   ああ わたくしはけつしてさうしませんでした
   あいつがなくなつてからあとのよるひる
   わたくしはただの一どたりと
   あいつだけがいいとこに行けばいいと
   さういのりはしなかつたとおもひます
というラストに収束していきます。

大正十二年(1923)賢治が27歳にならんとする8月4日。賢治は当時の樺太の鉄道の終点「栄浜」に下りたって海のうねりを見ながら何度もトシに語りかけたのでした。



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