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賢治と鉄道-樺太行き その三-

東京 312-2s
夜明け 東武スカイツリーライン隅田川を行く。上は首都高速6号向島線

今夜は「賢治と鉄道」樺太行きの3回目です。

稚内・大泊連絡船   稚内発   23:30 8/2 
              大泊着    7:30 8/3

宮沢賢治は1923年(大正十三)8月3日朝,樺太の大泊に着きました。
賢治は最初の目的である教え子の就職の依頼を,王子製紙の細越健氏に会って,果たすことができたのであろうか。記録はない。その体で賢治は大泊発の午後1時10分の列車に乗っただろう。

樺太庁鉄道     大泊発    13:10
             栄浜着    18:20

やっと最北の地にたどり着いたのです。栄浜の北緯は47°24'37.0"Nです。花巻と8°の差があります。この栄浜は当時戸数三百数十戸,人口1700人余りとで山口旅館という百人程度泊まれる旅館があったそうです。この山口旅館で旅装を解き,休んだであろう。そして海岸の方に出掛けていきました。

下り普通列車-2s
カシオペアを待ちながら

栄浜にたどり着いた賢治は「オホーツク挽歌」にその思いを記している。この詩の日付は八月四日です。朝の景色の描写から始まります。
   

   海面は朝の炭酸のためにすつかり銹びた

   緑青(ろくせう)のとこもあれば藍銅鉱(アズライト)のとこもある

   むかふの波のちゞれたあたりはずゐぶんひどい瑠璃液(るりえき)だ

賢治はいつ死んだ妹トシとの交信を試みたのだろう。どうやら栄浜に着いた昨夜から明け方にかけて試みたようだ。賢治は疲れ切っていた。
白い片岩類の小砂利に倒れ

   波できれいにみがかれた

   ひときれの貝殻を口に含み

   わたくしはしばらくねむらうとおもふ

   なぜならさつきあの熟した黒い実のついた

   まつ青なこけももの上等の敷物(カーペット)と

   おほきな赤いはまばらの花と

   不思議な釣鐘草(ブリーベル)とのなかで

   サガレンの朝の妖精にやつた

   透明なわたくしのエネルギーを

   いまこれらの濤のおとや

   しめつたにほひのいい風や

   雲のひかりから恢復しなければならないから




カシオペア南へ3-gswb
カシオペア南へ

賢治はどのような方法でトシとの交信を試みたのだろうか。

一つの気になる言葉が突然に詩の中に入っている。

 (十一時十五分、その蒼じろく光る盤面(ダイアル))



この意味はなんだろうか。


この話は次回に続きます。


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