FC2ブログ

賢治と鉄道-樺太行き その四-

夕方の電車 119-2gs
ウメの花咲いて夕方電車


今までのトシからの通信は
いつも予期しない時に届けられていました。

その通信がまた届いたのです。「春と修羅」補遺の「青森挽歌三」です。

 私が夜の車室に立ちあがれば

   みんなは大ていねむってゐる。

   その右側の中ごろの席

   青ざめたあけ方の孔雀のはね

   やはらかな草いろの夢をくわらすのは

   とし子、おまへのやうに見える
列車の同じ車両の中ごろの右の席にとし子がいるというのです。確かに今までに死んだはずのとし子がいたという法隆寺の駅のことを思い出します。


「まるっきり肖たものもあるもんだ,
法隆寺の停車場で
すれちがう汽車の中に
まるっきり同じわらすさ。」
父がいつかの朝さう云っていた。

そして私だってさうだ
あいつが死んだ次の十二月に
酵母のような細やかな雪
はげしいはげしい吹雪の中を
私は学校から坂を走って降りて来た。
まっ白になった柳沢洋服店のガラスの前
その藍いろの夕方のけむりの中で
黒いマントの女の人に遭った。
帽巾に目はかくれ
白い顎ときれいな歯
私の方にちょっとわらったやうにさへ見えた。         青森挽歌三

賢治の受け取る通信は音ではなく,映像です。風に乗って「おにいちゃん」という声がするのではないのです。ありありと「白い顎ときれいな歯/私の方にちょっとわらったやうにさへ見えた」というリアリティーのある映像が届くのです。この点は大切でしょう。
それでは,その映像として届くトシからの通信は,本当に予期せぬ時ばかりなのでしょうか。いいえ。賢治はトシからの通信が届く条件も書いています。

「巻積雲のはらわたまで
月のあかりは浸みわたり」
「青森だからといふのではなく
大てい月がこんなふうに暁ちかく
巻積雲にはいるとき
或いは青ぞらで溶け残るとき
必ず起る現象です。」 


列車の外はこんな景色です。こんな景色が見られた時がトシからの通信が届く時だと言うのです。
月と雲が織りなすこんな時に通信は届くわけです。
それでは8月4日付けの「オホーツク挽歌」に唐突に出てくる次の言葉はどんな意味を持っているのでしょう。


(十一時十五分、その蒼じろく光る盤面(ダイアル))



まずこれについては朝の描写から始まるこの詩ですから「午前十一時十五分」と言われています。そして「その青じろく光る盤面(ダイヤル)」はどう見ても時計です。賢治は日が高くなった午前十一時十五分に時計を見た。そしてその時計の盤面は青じろく光ったということです。しかし,午後十一時十五分ではないのでしょうか。つまり夜の十一時十五分とも受け取れるわけです。萩原昌好の「宮沢賢治「銀河鉄道」への旅」では夜ではないかと予想されています。つまり前日(3日)の夜十一時十五分です。そこで栄浜の1923年8月3日夜11:15の星空を見てみます。

星図1923年8月3日
樺太栄浜から見た東の星空

白鳥座が天頂に来ています。この天頂にある白鳥座が栄浜にある「白鳥湖」に写るということがポイントです。萩原氏はこう書きます。
八月三日午後六時二十分に栄浜に着いた賢治は,山口旅館に旅装を解き,それから多分夕食も摂って栄浜白鳥湖まで足を延ばしたのである。絶えず,お題目を唱えながら。夜半に至り,白鳥座と白鳥湖とが接点となるその地点において,彼はトシが無上菩提に至ることを一心に祈り続け,夜明けになって山口旅館の近くの砂丘の陰で疲れた体を休めた-と考えられる。
星空の下,波の音に打ち消されないように「南無妙法蓮華経」を唱え歩いたのでしょう。そしてやがて日が変わる頃月が昇ってきます。そして月が傾く夜明けまで彼は栄浜で祈り続けていたのだと思います。

(十一時十五分、その蒼じろく光る盤面(ダイアル))

は夜の十一時十五分と考えるといよいよリアルになっていく部分もあります。萩原氏はこの(十一時十五分、その蒼じろく光る盤面(ダイアル))の十一時が「銀河鉄道の夜」の中の十一時と符合していくと展開していきます。その辺りも興味深いところです。



にほんブログ村

にほんブログ村
関連記事

コメント

非公開コメント