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読む写真 宮本常一の手法-地割り-

陸羽東線 115-2gs
春の気配 陸羽東線 最上駅を出て

「賢治と鉄道」の宮沢賢治の樺太行きについては,中途半端な点もありましたが一旦終わりとして,今日から写真について話したいと思います。題して「読む写真 宮本常一の手法」と,いつも題名だけが格好良く中々中身が着いていきません。

宮本 常一(みやもと つねいち)は,1907年8月1日 - 1981年1月30日73歳,民俗学者と紹介されている。戦前から全国各地を廻り,聞き書きを続けました。その最たるものが『忘れられた日本人』(昭和35)で岩波文庫で今でも読めます。

忘れられた日本人

聞き書きしたこれらの作品は,いずれも昔の日本人の姿を映し出していて,興味深く読めます。
彼の徹底した追究の姿勢の特徴は,足で稼ぐ聞き書きと写真にあります。彼は聞き書きをしながら,十万点以上の写真を残しています。これらの写真が実は宮本民俗学を理解するにも,写真が学問にどうつながっていくかという手法を知るにも重要に思えるのです。
私は彼を「歴史民族学の絵解き師」と呼びたいです。絵解き師とは昔,常民に仏法を理解させるために,曼荼羅などの絵を使ったり,物語にしたり,歌にしたりして分かりやすく説法した僧のことを言います。
前振りはともかく早速記録された写真を見ていきましょう。次の写真を見て下さい。

地割り 007-2s
畑の地割りの例  広島県能美島中町(現 江田島市)の背後 1966.12撮影

「地割り」というのは,その土地が分割されている様子を言います。土地割りとも言い,分割線とも言います。
写真を見ると尾根に沿って道路が通っていて畑がモザイク模様のように美しい形で並んでいます。そしてその起伏に沿ってたてのラインが一軒の農家の持ち分です。つまり短冊状に土地を分割していった歴史があったと思われます。土地を平等に分けていく考えがあったのです。ですから,この場所はもともと地主がいて,それが先着順に譲られていった形ではないでしょう。もしお金を出して譲っていったのであれば,畑には大小が生まれ,水の取りやすい場所が取られ,もっと不規則になったはずです。
どうやら集団でこの場所に移り住み,みんなで平等に分けたのです。例えばこのような平等性の結果を,宮本は漁民が陸上がりして集落をつくった場合にこのような地割りになるのではないかと推測するわけです。このようにその地形から集落ができる過程を考えるのです。
 このたった一枚の写真から集落を形成する集団の土地分割や土地利用の歴史を読み取ることができるのです。
これは興味深いことです。もっと近くで,このような地割りの例を見ましょう。次の写真を見て下さい。

地割り 018-2s
横浜市周辺 1968年12月 新幹線の車窓から 
起伏に沿って縦に分割した線がはっきりと分かります。
一軒について縦に区切られた線の中の土地が自分の土地になります。
一番上に山があります。燃料の木を切り出したりするのでしょう。また山の手前に灌木か,何かが植えられています。家畜などの餌にするものを取る場所かもしれません。畑には様々な物が植えられています。地割りの考え方は自給自足を最大限まで効率的に進める考え方が現れ出ていると写真を読むわけです。このように,その土地にやってきて,開墾して自分の土地となり,定住していく歴史があったと読めます。中世の名田の考え方でしょう。
次の写真は地割りの典型的な例です。

地割り 027-2s
東京都府中市の新田土地割りの図

道路に沿って短冊状に土地が割り振られています。そして一軒一軒の土地をよく見ると,その土地の中に宅地,畑,雑木林,墓地があるのです。このような土地の構成の仕方は,最も合理的で無駄がない形でしょう。現代で言えば,畑付き土地分譲建て売り住宅の販売のようなものでしょうか。
実際このような土地割りであっても貧富の差が出てきて,退転したりする農家も出てきたことでしょう。そして土地が売りに出され,地区に関係のない者がその土地を買ったりすることもあったと思います。また,分家して新しい土地を開墾したりすることもあったでしょう。このようにして素封家や旧家や地主が形成されたのかもしれません。

宮本常一は写真からこのような日本全国の土地の歴史を丹念に読み取っていたのです。写真が学問の最強の武器となることを自覚していた宮本常一の手法は素晴らしいと思います。

この話は続きます。


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