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読む写真 宮本常一の手法-網野善彦が読む-

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廃校の分教場の窓に映る桜

宮本常一の残した「忘れられた日本人」は多くの人に影響を与えたけれど,網野善彦は宮本常一の仕事を実質的に受け継いだと言ってもいいでしょう。常民文化研究所が調査して村々から借りた大切な文書が返却されずにいたのを後に入った網野善彦が村々を回り,返していったのです。村の宝物とされる古文書を借りること自体が苦心惨憺の末であることは「忘れられた日本人」の冒頭の「対馬にて」を読むとよく分かります。村の宝物を借りておいて返しもしないのは信用を失うことです。これらの遺産を一つ一つ網野は村を訪れて返していったのです。この古文書返却の経緯は「古文書返却の旅」(中公新書)として読むことができます。

そんな網野善彦が宮本常一を再び意識するようになったのは1984年2月に,当時教科書に載った「忘れられた日本人」の中の「梶田富五郎翁」について,筑摩書房から執筆を依頼されてのことだったようです。網野が「忘れられた日本人」を読んでそれまではさして気にも留めておかなかった内容に心を深く動かされたのです。
網野が心動かされた筆頭に挙げているのが「土佐源氏」です。この「土佐源氏」は土佐の山中の橋の下に住む乞食のようになった若い頃に馬喰をしていためくらの男の女性遍歴の話です。馬喰をしていたこの男の生き様は昔の日本の姿をありありと浮かび上がらせます。義務教育制度がまだ成立していない時代です。学校に行かない子どもも随分いたのです。つまり定住性の社会制度が成立する村の掟に当てはまらない住所を持たない流浪することで生活していた人々が多くいたことは確かです。

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分教場の窓に映る桜

網野が「忘れられた日本人」の中に読み取るのは,そうした効率的なシステムから流浪する民の世界です。
例えば「梶田富五郎翁」では梶田翁が子どもだった頃,メシモライという形で漁の手伝いをしていました。
浅藻ちう所は元来天道法師の森の中で人が住んではならんことになっておった。このあたりではそういうところをシゲというてなあ,あすこは天道シゲじゃけに住んではならん,けがれるようなことをしてはならんと,土地の人はずいぶんおそれておった。
そういうところへどうして住むことになったかといいなさるんか。
対馬という所は侍の多いところで,どの村でもなかなかしきたりがやかましい。わしら漁師のような礼儀も作法も知らんものは,とてもつきあいできるもんじゃあない。それでいっそ神様のバチが当たってもかまわんけえ,まあめんめら同士(銘々同士)気の合うたものだけてくらすのがよかろうちゅうて浅藻へ納屋を建てることになったんじゃいの。
漁を生業とする人々は割合に自由に移り住むことのできる時代であったとも言えますし,神様の住む森もあって,その土地に入ればすべての権力が無力化されることも合ったわけです。治外法権の場所は村人が逃げ込む山にありました。また,一部の遍歴民が芸を見せれば,船賃が無料になったり,関所を素通りできる特権が与えられていた事実があったのです。網野はそうした裏にあって階級社会を支えていた人々を鋭くあぶりだそうとしました。それをアジールと言ったり無縁・公界・楽とも言ってきました。

もうこのように書いていくと,私が以前取り上げた「新・逃走論」の続きになってしまいます。サンカ,走り,逃散,一揆,山人,神隠しといった農村システムから外れたキーワードにつながっていってしまいます。鉄道が敷かれ,統制が行き渡り,ことごとく社会は均一化されていきました。戦前の日本の姿を見事なまでに記録した宮本の鋭いまなざしは無文字文化の熟成を高らかに歌っていたとも言えるでしょう。


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