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賢治と勤めた宮城人『宮沢賢治の肖像』

煙たなびく煙たなびく
北上川北上川
水晶2水晶
水晶水晶
石灰結晶鉱石の写真は,「石と賢治のミュージアム」の展示物です。許可を得て撮影しました。

 今日は宮沢賢治の話をしましょう。題して「賢治と勤めた宮城人」としました。
 ご存じのように宮沢賢治は大正10年2月に開校した花巻農学校に勤めました。このときの校長が畠山栄一郎でした。畠山校長は賢治を高く評価していたことは,昇給の早さにもあらわれていると誰かが言いました。実は,賢治が農学校に勤めようと決心させたきっかけがこの畠山校長にあったのです。畠山校長は養蚕講習所所長を経て,花巻農学校に赴任しました。畠山が技師時代,賢治の盛岡高等農林での恩師である関豊太郎教授と思い切り喧嘩をしたという話があって,その話を聞いた賢治が,農学校に勤める決心をしたと言われています。
 「関教授と衝突するような人なら,わたしも使われてもいい。面白いところがある人にちがいない」と賢治が言ったそうです。なにせ,あの怖い関教授とやりあったのならば,畠山校長という人は,すごい人だと賢治もおもったのでしょう。この畠山栄一郎は,立派な風貌で,太っていて眼鏡をかけ,髭をたくわえ,心にことばを残さないがらがらした人であったそうです。宮城県の現在の登米市にある旧制佐沼中出身で,盛岡高等農林に進学したのでした。
 もう一人賢治と勤めた宮城出身の人がいます。堀籠文之進です。賢治には大変かわいがられて,嫁さんまで紹介してもらい,結婚式のすべても手配してもらったということです。堀籠は宮城県黒川郡大衡村出身で,仙台二中を経て,盛岡高等農林に進学した人でした。賢治は仙台を愛していたといいます。勤めをやめた後,砕石工場の営業でも宮城県や仙台に何度も来ていました。やはり隣の県同士,人の交流も随分あったんですね。

参考にした本
『宮沢賢治の肖像』森荘已池 津軽書房 昭和49
宮沢賢治の肖像 (1974年)宮沢賢治の肖像 (1974年)
(1974)
森 荘已池

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コメント

Re: 教師としての宮沢賢治

いつもコメントありがとうございます。
賢治のことを知るのは,なんだか自分の新しい部分を知るようで嬉しくなります。どうしてなんでしょうね。でもそれが賢治の魅力なんでしょうね。同僚に秋田大の鉱山学部出た人がいて世界砂金採り選手権にも出た人がいるんです。おもしろい人です。石のことは,その人に聞いておもしろいなと思うようになりました。その前にも化石採りはしてたんですけど・・。

教師としての宮沢賢治

教師としての道を選ぶにあたっては、ためらいがあっとようですね。花巻農学校に勤める前、恩師関豊太郎教授からの推薦を受けながら、盛岡高等農林助教授の職を断っています。
それなのに花巻農学校の教師が兵役にとられたための、12月の急な要請だったとはいえ、それを承諾したときの言葉として、
「畠山さんは、関豊太郎博士に堂々と向き合って反論できたほどの人だから。」
と言った話は心に残っていました。
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