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夜明けの海に立って-異途への出発-

異途への出発-2s
異途への出発

1925(大正13)1月6日夜明け前6:05。
賢治は開業したばかりで新しい駅舎の種市の駅に下りたちました。
日の出までにはまだ小一時間もあります。しかし,しばらくするとうっすらと東の夜の底が明るくなってきました。氷点下4℃はあります。
1/6の日付のある「暁穹への嫉妬」(「春と修羅第二集」所収)で賢治は果ての地に下りたった興奮を抑えながら,辺りを見つめます。
薔薇輝石や雪のエッセンスを集めて、
ひかりけだかくかゞやきながら
その清麗なサファイア風の惑星を
溶かさうとするあけがたのそら
さっきはみちは渚をつたひ
波もねむたくゆれてゐたとき
星はあやしく澄みわたり
過冷な天の水そこで
青い合図(wink)をいくたびいくつも投げてゐた
それなのにいま
(ところがあいつはまん円なもんで
 リングもあれば月も七っつもってゐる
 第一あんなもの生きてもゐないし
 まあ行って見ろごそごそだぞ)と

参考のために賢治が見た夜明け前の空をステナビで再現すると下のようになります。

異途への出発1月6日星図
賢治が種市で見た1月6日の夜明け前の空
合わせてみると金星が-4等でずば抜けて明るいです。そして「リングもあれば月も七っつもってゐる 」土星も少しずつ高く見えていました。

賢治の胸は高鳴っていました。なぜお正月のこんな時におれはこんな所にいるんだろうか。もう9時間も暗闇の中を汽車に揺られて初めてたどり着いたこの地。
「おれは何をしにここまで来たのだろうか」
みんなに義理を缺いてまで、
気負んだ旅に出るといっても、
結局荒さんだ海辺(べ)の原や
林の底の渦巻く雪に、
からだをいためて来るだけだから
ほんたうはもうどうしていいかわからない
                  「異途への出発」
「からだをいためて来るだけ」の厳冬の苦しい旅になぜ敢えて賢治は出たのか。

ここで賢治のこの旅をおさらいしておきたいです。三陸海岸での地名や場所を確かめないとどこにどうやって行ったのかが分からなくなってしまうでしょう。下の引用した地図を見て下さい。

北三陸への旅
賢治の旅程
1/5~1/9の賢治の北三陸の旅程は「宮澤賢治の詩の世界」の中の「旅程幻想詩群」の中で詳しく述べられています。その中に上記の地図があり大変分かりやすいです。ネダリ浜にある宮澤賢治の詩碑の案内板にもこの地図が載っていました。その案内板から地図を借りてきました。詳しくは下の旅程幻想詩群をクリックして下さい。
旅程幻想詩群

異途への旅立ち 094-2s
朝の一番列車
八戸線 宿戸-陸中八木

どうして敢えて厳しい厳冬期にしかも北の果ての八戸から入る旅をしようとしたのか。

これに対する答えは賢治さんに聞いてみないと分かりません。

異途への旅立ち 027s
賢治が1月6日に泊まったとされる下安家の風景 国道45号線が上を通っています。

早速今日も風の電話で賢治さんに聞いてみましょう。
「もしもし,賢治さんですか。昨年は童話集や春と修羅の詩の出版おめでとうございます。素晴らしいご活躍でしたね」
「アリガトウ。デモマダマダダ」
「賢治さんは年が改まり,新年を迎えると大きな節目だとお感じになり,いろいろなことをされてきました。「春と修羅」の詩を書き始めたり,原稿を持って上京したり,果てまでは家出した上京したことも1月でした。1月に特別な思い入れがあることは察することが出来ます。」
「ウン。マアソウダネエ」
「そのような新しいことを意識するために厳冬期の北三陸を選ばれたんですよね。」
「人ハ成長シナクテハイケマセン」
「冒険ですね。男のロマンですねえ。というよりやっぱ「春と修羅」の作品づくり,詩作のためと思うんですが」
「ウン。」
「しかし,実際に第二集に選ばれたのは,この旅では五編しかありませんね。少なすぎませんか。」
「マトマッタカタチトナッタモノガ五編トイウコトダケダヨ」
「そうですか。まとまった形ですか。つまり手入れがまだ必要なものがあるという事ですね。作品そのものも進化する。変態するということですね。」

異途への旅立ち 070s
1/6に泊まったとされる下安家の小野旅館 今でもある

(この話は続きます)



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