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異途への出発 その4-異界の旅は最後を迎え-

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TOHOKU EMOTION

さて賢治の北三陸の旅も一気に後半です。1月6日に久慈の南,下安家の小野旅館に泊まった賢治でしたが,1月7日は午前中に弁天崎(ネダリ浜)黒崎と歩いたのだと思います。

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黒崎 ここの展望台に賢治の発動機船一の石碑が建っています。

この黒崎(弁天崎)は北三陸の中でも最も美しい景色の所です。私も夕方の光を浴びた黒崎に一人立って時を忘れました。
実際賢治はこの上の展望台まで来た様子はありません。ネダリ浜からか,船に乗って見たのかもしれません。、「まっしろな珪〔岩〕の・・・」「石灰岩の岩礁」という言葉が「発動機船一」や「水平線と夕陽を浴びた雲[断片] 」に出ています。石灰岩の岩礁はここ黒崎にしかないそうですからかなり有力です。下の写真を見て下さい。確かに白いのです。

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傾きかけた日に浮かぶ白い岩礁

優れた賢治研究のHP「宮澤賢治の詩の世界」で「旅程詩群」が,この賢治の旅の考証になっていますが,そこでは「賢治はどこから船に乗ったか」が,確証が得られていないんだそうです。詩の描写から確定しようとする考察がおもしろいです。(そのページは こちら )

さて賢治は1月7日の午後,一気に宮古まで行き,帰路に就いたように思われます。そして夜遅くに宮古に着き,そのまま午前0時の船に忙しく乗り換え,山田,大槌と南下します。1月8日は釜石の親戚の家に泊まるようです。この辺りは一気に南下しますが,もう新学期も始まる時期ですから急いだのかもしれません。省いてもいいやと思ったのでしょう。
というのも以前三陸海岸の南側には以前来たことがあったのです。

1917年7月26日,賢治は20歳でした。「東海岸視察団」という旅行に参加して,大槌、山田をまわって、宮古に到着していたのですから。どうやら今回の北三陸の旅は,8年前の20歳の頃見た三陸海岸の旅を完結させようという気持ちも賢治の中にはあったのでしょうか。

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堀内駅にて

現在は北リアス線になっている海がすぐ近くまで迫る堀内駅で,この港から賢治が船に乗ったのかと妄想してみました。
「あまちゃん」では架空の町,北三陸市は久慈の町に設定されています。

最後に美しい岬がまだあります。北山崎です。
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夜の北山崎  イカ釣り船の明るい光が海の暗い水面に映えます。

1月9日,旅の最終日。
賢治は
1/9  釜石の鈴子駅から田中鉱山線に乗って、終点の大橋駅で下車。ここから徒歩で仙人峠を越え、背後に遠く釜石湾を望む(「峠」)。
 仙人峠から、岩手軽便鉄道に乗って花巻に帰る。 
                                               前出「旅程幻想詩群」から引用

この旅は「春と修羅 第二集」のためになされたものでしょう。
この年の賢治の創作意欲はまた燃え上がります。しかし納得はしていないようです。「あれは到底詩ではありません」と言い,「或る心理学的な仕事の準備」の粗硬な心象のスケッチと言い張るのです。何のためのスケッチか。「歴史や宗教の位置を全く変換しようと」する基礎的な材料がつくった詩の数々なのです。
意味が分かりません。岩波書店の岩波茂雄にも同じ主旨の手紙を送っています。

何度も書き換えられる作品群,森や林が遷移していくように彼の作品も次々と改作され続けていきます。私は,賢治は詩の言葉の「動画化」を試みているのかなと感じることもあります。瞬間的に止められてある言葉の限界を感じつつも,その言葉を動画化して残像を表現したりする方向に賢治の言葉の取扱説明書「トリセツ」は進んでいたのでは,と思ったりもします。極端な永久停止という結晶と停止した永遠の中に読み解かれるダイナミックな動く歴史を再現しようとしていたのではと思います。これは二律背反です。しかし今までかつて誰もたどり着いていない領域になるでしょう。そう四次元です。そこに賢治の魅力が時代を超えて生き続けていると思います。


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