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汽車に揺られて啄木さん

山の日 049-2s
東北本線 上り (北)新田-石越

ふるさとの訛なまりなつかし
停車場ていしやばの人ごみの中に
そを聴きにゆく

「一握の砂」から啄木のあまりにも有名な歌です。
「駅」というと汽車のことが目に浮かび,「停車場」というと乗降客のことが目に浮かぶと言っていた人がいましたが,そんな違いもあるのでしょうか。
以前に
「夏草に 汽缶車の音 来て止まる」  山口誓子
という句を乗せましたが,鉄道を詠ったものにはなかなか良いものがあります。なんか旅をしたくなる,旅情をかき立てる雰囲気がいいのです。

そこで「一握の砂」にどれくらい汽車,夜汽車,停車場,駅という言葉を使った鉄道歌があるか数えてみました。24首ほどありました。
明治四十一年夏以後の作一千余首中より五百五十一首を抜きてこの集に収む。集中五章、感興の来由するところ相邇ちかきをたづねて仮にわかてるのみ。「秋風のこころよさに」は明治四十一年秋の紀念なり。
とあるように551ある歌の中で24(気を付ければもっとあるはずです)ですから5%もありません。しかし,5%もあると思えばやっぱり多く感じます。実際「一握の砂」を読んでいくと連続して汽車の歌が連結して続いていることも印象を強くします。乗っている汽車の窓から写る景色も,ふと感じる退屈な「かなしみ」も汽車に乗ったときの心情をよく表しているのではないでしょうか。

うす紅く雪に流れて
入日影
曠野の汽車の窓を照てらせり

きれいです。「流れる」と言う言葉,乗っているスピード感をよく表しています。こんなのはどうでしょう。

雨に濡れし夜汽車の窓に
映りたる
山間(やまあい)の町のともしびの色

雨の夕暮れに滲んだ町の灯りが目の前に浮かんできます。こんなのは

かの旅の夜汽車の窓に
おもひたる
我がゆくすゑのかなしかりしかな

夜汽車の窓から遠い灯りを探しているのが分かります。ぼんやりと見えた消えそうな灯を見て自分の未来への不安を感じるのです。

異途への旅立ち 797-2s

夜汽車にはもっと魅力があります。
音の世界です。
長く鳴る汽笛,響くレールの音,停車して連結する連結器の音

遠くより
笛ふえながながとひびかせて
汽車今とある森林に入いる

何事も思ふことなく
日一日
汽車のひびきに心まかせぬ

啄木の視点は私たち凡人の視点で書かれているのでよく共感できます。

山の日 115-2s
月懸かる夕暮れ

汽車の旅
とある野中のなかの停車場の
夏草の香のなつかしかりき

と,香りでも季節を感じます。夏草のむっとする厚みのある香りが停まった駅で,開け放たれた窓から押し寄せてくる。そんな田舎の人けのない沈黙の中にも存在感を表してくる香り。
各駅で停まるときに感じるその町の香り,風に乗って運ばれてくる匂い。

北国の厳寒の中を走る夜汽車。やがて暁の光が地平線に現われてきます。

水蒸気
列車の窓に花のごと凍てしを染むる
あかつきの色

遠くへ来たなあ。もう夜明けだ。
山の日 226-2-1s
夏の午後



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