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赤い櫛

異途への旅立ち 840_39_38_fused-2-s
思惟の森

今日はひまだれにお話をします。

お雪がこの家に来てからというもの
男はしみじみと人の幸せを感じることが多くなった
どうにかしてと歳の市に出掛けた折に,赤い櫛を求めて,やっと吹雪の晩に渡した。
赤い櫛をじっと見つめていたお雪は,やがて髪に赤い櫛を入れた。
「風呂にでも入ったらどうだ。今夜はまた特別に寒い。」
お雪はかすかに頷いて,風呂場に入った。

随分と時が経った。風呂場からは物音ひとつしない。
「お雪」と男は心配して声を掛けた。返事もない。
男は再び声を掛けると風呂場を覗いた。
濛々と立ちこめる湯気の中にお雪はいなかった。
ただ暗い風呂場の湯船の上に赤い櫛がかすかに浮いて漂っていた。

これは「雪女」の話ですが,宮城県の一迫の語り部の人が話していたものです。
赤い櫛が印象深く使われています。
先日石川啄木の鉄道の歌を紹介しましたが,「一握の砂」にこんな歌をみつけました。

夷(なだら)かに
麦の青める丘の根の
小径に赤き小櫛ひろえり

広大な丘をつくる麦畑とその脇を通る小径にぽつんと小さな赤い櫛が落ちていたという,鮮やかな対照が際立っています。

遠野 046_7_8_tonemapped-2s
卯子酉様

この歌の前の方にこんな歌があります。

宗次郎に
おかねが泣きて口説き居り
大根の花白きゆふぐれ


「おう,宗次郎!いつ盛岡に出てきた。」
「きのうです」
「何しに?」
「仕事さがしです」
はじめ(啄木)は,渋民村のことを思い出した。こんなところで,同郷人に逢えるなどとは思ってもいなかったので,ふだんは口もあまりきかなかった宗次郎でさえも,何年来の友人だったような気がしてきたのである。

はじめ-故郷の奴に逢うのは久し振りなんだ。みんなどうしてる?
宗次郎-変わりなくしている,といいたいところですが,このところすっかり変わってしまいましたよ。
はじめ-たった一二年の間にか?
宗次郎-はい。
はじめ-おかねは?
宗次郎-・・・・・
はじめ-まだ結婚しないのか?
宗次郎-うちも,親父が死んで田畑を売りまして。
はじめ-あの広い田畑をか?
宗次郎-はい。大根畑まですっかり売ってしまいました。おっ母が反対で,自分の嫁入りどきの持参金代わりの田畑を売るくらいなら死んだ方がましだ,とまで言いはっておかしくなってしまいました。でも死んだ親父にずいぶん借金がありましたもんで,仕方がなかったのでございます。

異途への旅立ち 927-2s村はずれのお堂

宗次郎の話ははじめの心にかかるものがあった。田畑を売り払われて,自分自身の魂の安住の場を失った百姓出身の女が,夜になると発狂し,「売られた田畑」へ行っては,その土に手でさわってくるという話は,貧しい北国までおしよせてこようとしている「近代」の嵐の予兆として考えても,あまりにむごいものがある。「うちのおっ母は」と宗次郎は言った。
「嫁に来るときしてきた,自分の真っ赤な櫛や帯止めを,売られた田畑のあちこちに埋めておいて,,おらが連れ戻しに行くと
「ここはあたしの土地だよ。あたしの土地だよ」と叫びながら,まるで狐でも憑いたように,月の光の下で髪をざんばらにしたまま踊りだすんです」

話をきいているうちに,はじめには宗次郎の母親の顔がうかんできた。ひどく臆病そうで,愛嬌いいおばさんだったが・・・。
これは寺山修司の「大根の花はなぜ白いか」からの引用です。

この創作はまさに啄木の二つの歌

夷(なだら)かに
麦の青める丘の根の
小径に赤き小櫛ひろえり

宗次郎に
おかねが泣きて口説き居り
大根の花白きゆふぐれ

を融合させた解釈から成り立っているのではないでしょうか。そしてここから「田園に死す」の寺山ワールドが始まります。
〔夜になると埋めた真っ赤な櫛が歌を歌った。畑を返せ。田を返せ。櫛に絡んだ黒髪の,十五の年のお祭りの,お面をかえせ,笛かえせ。かなしいわたしの顔かえせ〕化鳥は夢の中で田を掘り起こす〔するとどこを掘っても真っ赤な櫛が出てきた,〕

この寺山修司による啄木の二つの歌の解釈は,啄木と寺山が何か同じ原風景の生々しい記憶を持っているかのように思えます。すっきりとまとめた啄木の歌を,寺山は生々しくきわどく恐ろしいほどに血肉化しています。

この赤い櫛は物語化されたことで,私たちに何を訴えようとするのでしょうか。
魂,怨念,情念・・・。

ここで思い出しましょう。
「遠野物語」の六三の「マヨイガ」です。
又或日我家のカドに出でゝ物を洗ひてありしに、川上より赤き椀一つ流れて来たり。あまり美しければ拾ひ上げたれど、之を食器に用ゐたらば汚しと人に叱られんかと思ひ、ケセネギツの中に起きてケセネを量る器と為したり。然るに此器にて量り始めてより、いつ迄経ちてもケセネ尽きず。家の者も之を怪しみて女に問ひたるとき、始めて川より拾ひ上げし由をば語りぬ。此家はこれより幸運に向ひ、終に今の三浦家と成れり。
赤は強く訴えかけます。

雨の大船渡線 110-2s
雨の山の彼方へ

近代の嵐に翻弄され続けた東北の民が物言わず,むしろ口をつぐんで耐えてきた遺伝子の記憶が啄木と寺山を結びつけていたと思えるのです。



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