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静止への律動-賢治文語詩の方向-

研究 093-2s
夕暮れ電車

今夜は宮澤賢治のことを話します。
またお付き合いください。

賢治は森佐一に「前に私の自費で出した「春と修羅」も、亦それからあと只今まで書き付けてあるものも、これらはみんな到底詩ではありません。私がこれから、何とかして完成したいと思って居ります、或る心理学的な仕事の仕度に、正統な勉強の許されない間、境遇の許す限り、機会のある度毎に、いろいろな条件の下で書き取って置く、ほんの粗硬な心象のスケッチでしかありません。」と言っています。これは何度読んでも不思議なところで,大体「或る心理学的な仕事の仕度」とは何のことを言っているのだろうと思います。そしてそう書いた同じ年の暮れ,1925年(大正14年)12月20日29歳の賢治が,岩波茂雄(岩波書店店主)に宛てて手紙を書きます。
「・・・わたくしは岩手県の農学校の教師をして居りますが六七年前から歴史やその論料、われわれの感ずるそのほかの空間といふやうなことについてどうもおかしな感じやうがしてたまりませんでした。わたくしはさう云ふ方の勉強もせずまた風だの稲だのにとかくまぎれ勝ちでしたから、わたくしはあとで勉強するときの仕度にとそれぞれの心もちをそのとほり科学的に記載して置きました。その一部分をわたくしは柄にもなく昨年の春本にしたのです。心象スケッチ春と修羅とか何とか題して関根といふ店から自費で出しました。友人の先生尾山といふ人が詩集と銘をうちました。詩といふことはわたくしも知らないわけではありませんでしたが厳密に事実のとほりに記録したものを何だかいままでのつぎはぎしたものと混ぜられたのは不満でした。…」

詩については私も知っている。でも私は「厳密に事実のとほりに記録したもの」なのだと言っています。そして俗に言う詩は「いままでのつぎはぎしたもの」と断じているのです。そしてそれを初対面の岩波書店の社長にこれだけ言えるというのもすごいです。

いずれにしても賢治は何をしようとしていたのでしょう。

賢治の数々の詩はとてもユニークで私には「疾走する律動」が感じられます。瞬間瞬間フラッシュのように瞬いては次の景色が現われます。長い「小岩井農場」などはドラマティックな映画を観ているような時間を感じます。そして賢治と同時代に湧き起こったシュールレアリスム(超現実主義)の手法を感じてしまいます。イメージをそのまま感じたままに生(レア)のまま,感覚や思考のフィルターを通さずに表現していく手法です。まさに賢治が生きていたときにヨーロッパでシュールレアリスムは生まれていました。以前私は「春と修羅」の全文語句検索をして色では青が圧倒的に多いことを書きました。(その記事は こちら )賢治は「青の詩人」,肯ける気がします。
もし「或る心理学的な仕事の仕度に、いろいろな条件の下で書き取って置く、ほんの粗硬な心象のスケッチでしかありません」という詩がただの準備のためのメモだとしたら,どんな形になることが完成形なのだろうと予想もつきません。賢治は詩の依頼を受けて,随分掲載もされましたが,断わりもしていました。読者がいるので,掲載される詩を選ぶ際は「幻想」の強い作品は避けたと自分で言っています。

結局この「或る心理学的な仕事の仕度」」はどのように進んでいったのでしょうか。
結論から言えば死ぬ直前に完成させた文語詩に集結していったのではないかと思うのです。なぜあれ程に「文語詩」の清書を急いだのか。ここに彼が到達した印があるからだと思います。

山の日 049-2s
カーブに入ります

「文語詩定稿 五十篇」「文語詩定稿 百篇」
なんとしてでもやり遂げなければ。完成したのは昭和8年夏8月22日。死の一か月前。

賢治の文語詩は更に難しい。
ただ特徴は研究者が言うように,個別性や私性,具体性から,推敲を重ねる毎に三人称,客観性,普遍性へ向かっていること。つまりそぎ落とされて五七五の形を取りながら,「43 5 34 5 34 5 43 5」とメモにあったりして,さらに細かく音律を吟味していること。今までの定型詩ではない,賢治の必然から生まれた形式というしかないでしょう。

これらの文語詩を味わいながら私には時間や空間を超えて静止して動かない律動が見た目にも音読しても感じられた。
賢治の「仕度」とは・・・?

さっぱり分からない。



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