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遠野の十月仏

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放光阿弥陀如来掛け図  「十月ほとけ」では掛け軸を掲げ,同族や隣近所が集まり読経したりした。

わたしがまだずっと幼かった頃,おばあさんに連れられて講に行ったことがあります。
これは「頼母子講(たのもしこう)」と言われていた。隣近所の女達が集まって会食をしたりして話をしていました。多分これは他所では「無尽講」とか言われていた寄り合いの一種で,相互扶助を考えた助け合いの講でした。
「どこそこでは出産で大変だから,出費もかさむだろう」と言ったりして,みんなでお金を出し合ってその家に贈るのである。こんな行事は確かに昔に多くあったように思います。小正月は女正月と言われたり,遠野ではオシラサマにお化粧してあげたり,新しい服を着せてあげたりする行事も残っています。

伝えられているこんな古きよき行事はどうも様々な神式,宗派仏教の行事に取り込まれていって断片だけがかすかに垣間見られるだけです。それは様々な幕府の政治や統制に適応していくために,他のものと融合を図りながら伝え続けてきた結果,「隠し念仏」という形態にならざるを得なかったのかもしれません。今となってはその表面に現われた断片をつなぎ合わせて予想するしかありません。
例えば,村で誰かが亡くなった場合,檀家である村人はきちんとお寺で葬式をしてもらった後,こっそりとその地区の者だけが集まって葬儀を執り行うということもありました。その事実は遠野物語どころか,佐々木喜善の日記にも出てきますし,つい最近まで行われていました。お寺が出来る前にはその地区の「善知識」と言われるある程度の修行を積んだ一般人の村人が弔いの儀式を執り行っていた時代もあったと言います。表面的には幕府による統制や宗教規制に順応しながらも,秘密裏に村人だけでの信仰を守り抜いてきたのです。

さて,そんなちょっと秘密結社のように長く受け継がれてきた村の行事に「十月ほとけ」別名「マイリのほとけ」という行事があります。この信仰は岩手を中心に多く残っていて,十月に同族の者達が集まり,阿弥陀如来や善導大師,聖徳太子の画像や「南無阿弥陀仏」の六字名号を掛け軸にしたものを掲げ,読経したり会食したりして執り行います。掛け軸を見ると古いものでは1359年の善導大師画幅が昔に極楽寺があった江刺市稲瀬のお寺に残っているといいます。なんと十月ほとけは14世紀まで遡るのです。

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極楽寺の裏山の道  今は極楽寺はなくなっていますが,昔は大層栄えたと言われています。

しかしどうして十月なのでしょう。
様々な説があります。だいたいこの行事そのものが浄土真宗の布教の原初形態ではないかと言われ,こちらに真宗を伝えた親鸞の弟子の是信坊が亡くなったのが十月十六日だから十月に行うんだという考えもあれば,十月は「神無月」だから神様がいない時に仏式の行事は行っておいた方がよいとか,様々な説があるようです。

そしてこれらの信仰は巧妙に隠れながら,やがて外部のものと複雑に絡み合いながら連綿と続いてきました。そのパズルのピースは少しずつ繋がってきています。

隠し念仏,十月ほとけ,羽黒修験,天台浄土教,オシラサマ信仰,真言密教,高野聖または遊行聖,六十六部聖とからまった糸はどこまでも複雑です。

まず,十月ほとけの掛け軸を見ていくと,室町以前に描かれたものは種類が定まっているといいます。
善導大師,放光方便報身阿弥陀如来,南無阿弥陀仏の六字名号,孝養太子,黒駒太子,真宗の七師像(竜樹,天真,曇鸞,道棹,善導,源空,源信),連座の御影(善導,源空,源信,親鸞,是信,性信,信海など)です。孝養太子は聖徳太子のことであり,黒駒太子も黒駒に乗った聖徳太子です。これは聖徳太子信仰で,聖徳太子は阿弥陀如来の再来とする太子信仰に基づいているのでしょう。

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修験霞状  山伏がここの地区はあなたの担当ですよと許可を出した証明書ですね

従って,十月ほとけは,是信などの親鸞の弟子達が岩手で熱心に布教した在家で行う浄土真宗の形と真言の念仏が溶け合い,民間の阿弥陀信仰として営々として続いてきたと思われます。

ここまで自分なりにつなげるのに2年以上かかっています。奥の深い特に中世期の仏教や布教の形跡を民間信仰からなぞることは大変興味深い地平が見えてきます。

異途への旅立ち 129-2s




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