FC2ブログ

竈神の誕生2-冬空-

年末休み 288-2s
冬空

いくぜ!東北のポスターのようになりましたが,テーマは冬の青空に広がった雲です。
今年もいよいよあと一日となりました。
みなさんにとって来年はもっとよい年となりますように。
今日は先日取り上げた竈神の話の2回目です。よろしくお付き合いください。

かま神 083-2s
登米市平筒沼農村文化自然学習館蔵 竈神NO.10

登米市の平筒沼のほとりにある平筒沼農村文化自然学習館に行くと,豊里町に残っていた60面の竈神のうち有形民俗文化財に指定された20面の竈神を見ることができます。宮城県の有形民俗文化財に指定された竈神は全部で38面あり,東北歴史博物館に8面,塩竃神社に10面保存されているそうです。
登米市の竈神は壁材の土で作られていることが特長です。栗駒や仙台周辺では木を彫ったものが多く,壁土でできた竈神は宮城県北部,岩手県南部にしかありません。そして竈神の分布は新潟以北の東北地方,その中でも宮城北部,岩手南部が最も集中しています。
 
写真を見て分かるように,目はアワビの貝殻を使ったり,おちょこを裏返していたり,時代が新しくなるとガラスも使われていたりします。歯も同じ材料です。ひげもあったり,頭に縄を巻いていたりします。これを竈近くの柱の上部に取り付けてかまど神のように祀っていました。つまり火の神として祀られてきました。大きさとしては,縦が最大の62cmで,大体は縦40-50cmのものが多いです。

19yumefes.jpg
私が訪ねた時には,来年3月4日と5日に「竈神様の置き土産-豊里町町おこし物語-」という創作劇が上演されるそうで,上のパンフレットをもらいました。

さて,竈神は火の神,火防の神ということですが,その起源が昔話に多く残っています。読んでみましょう。
芝刈りの爺さまが山の大きな穴に住んでいた白髪の翁から,醜い顔でへそばかりいじっている童をもらってきた。爺が火箸でへそをつつくと金の小粒が出てきた。一日に三度,金の小粒は出てきて爺さまの家は大金持ちになった。しかし,欲張りな婆さんがもっともっととつついて,とうとう童は死んでしまった。爺さまが悲しんでいると童が夢枕に現われ,「おれに似たお面をつくって竈の前の柱にかけていれば,金持ちになる」と言った。その通りにしたらまた金持ちになった。童の名は「ひょうとく」といった。
この話で,まず「醜い童」が登場します。醜いというよりはこちらでは「めぐせえわらす」と言って,どこか道化的な,温かみのある感じの子どもという意味も持っています。
もう一つ竈神の話を読んでみましょう。
「遠野物語」の話者,佐々木喜善の「江刺郡昔話」に「ひょっとこの始まり」という話があります。
ある所に爺と婆があった。爺は山に芝刈りに行って,大きな穴を一つ見付けた。こんな穴には悪いものが住むものだ。塞いでしまった方がよいと思って,一束の柴をその穴の中に押し込んだ。そうすると柴は穴の栓にはならずに,するすると穴の中に入っていった。また一束押し込んだがそれもそのとおりで,それからもう一束,もう一束と思ううちに,三月ほどのうちに刈り込めた柴をことごとく穴に穴へ入れてしまった。その時,穴の中から美しい女が出てきて,たくさんの柴をもらった礼を言い,一度穴の中に来てくれと言う。あまり勧められるので,爺はつい入ってみると中には目の覚めるような立派な家があり,その家の側には爺が三月ほどもかかって刈った柴がちゃんと積み重ねてあった。
美しい女にこちらに入れと言われて,爺は家の中に入ると立派な座敷があり,そこには立派な白髭の翁がいてここでも柴の礼を言われた。そして種々ごちそうになって還る時,これをしるしに遣るから連れて往けと言われたのが一人の童(わらし)であった。それは何とも言えぬみっともない顔の,へそばかりいじっている子で,爺も呆れたが,ぜひ呉れるといわれるのでとうとう連れて還って家に置いた。そのわらしは爺の家に来ても,あまりへそばかりいじくってばかりいるので,爺はある日火箸でちょいと突いてみると,そのへそからぷつりと金の小粒が出た。それからは一日に三度ずつ出て,爺の家はたちまち富貴長者になった。
ところが婆は欲張りな女でもっと多く金を出したいと思って,爺の留守に火箸を持ってわらしのへそをぐんと突いた。すると金は出ないでわらべは死んでしまった。爺は外から戻ってこれを悲しんでいると,夢に童が出てきて,泣くな爺さま,俺の顔に似た面を作って毎日よく眼にかかるそこの竈前の柱に懸けて置け。そうすれば家が富み栄えると教えてくれた。この童の名前はヒョウトクと言った。それゆえにこの土地の村々では今日まで,醜いヒョウトクの面を木や粘土で造って,竈前の釜男(カマオトコ)という柱に懸けて置く。所に依ってはまたこれを火男(ヒオトコ)とも竈仏(カマホトケ)とも呼んでいる。


かま神 082-2s
登米市平筒沼農村文化自然学習館蔵 NO.21

竈神の起源譚はこのようにまるでおむすびころりんのように地下の世界や海の竜宮城から帰ってくる浦島太郎に似た話として,関敬吾の「日本昔話大成」では「竜宮童子」型の話と分類されています。つまり,穴や海や川に薪,柴,門松,花などを投げ入れて,そのお礼に水神から子どもをもらいます。このお礼に贈られるものは,犬やネコなどの動物は四国地方や九州に多く,新潟以北の東北地方に多いのが「童」であるといいます。 宮城県では竈神に関した話に限った中でも,お礼に贈られた童が「みにくい子ども」「ショウトク(3)」「ショウトグ」「ショウドグ」「見たくねぇ顔付きの童」と共通しています。

さて,主人公の「見たくもない子ども」を佐々木喜善の聞いた話では「ひょっとこ」,宮城では,「ショウトク(3)」「ショウトグ」「ショウドグ」というのでしょうか。
内藤正敏は「東北竈神のコスモロジー-火神・水神・金属神-」で言います。「ショウトク(3)」「ショウトグ」「ショウドグ」は聖徳太子のことを言っているのではないか。つまり太子信仰が奥底に流れているのではないかと。喜善の言った「ひょっとこ」はどうでしょう。「ショウトク」「ヒョウトク」「ヒョットコ」と語音が転じていると考えます。確か,ある民俗学者が「ひょっとこ」面の竈神があるはずだ。探せ,と言った話があるそうです。言葉の転じ方を考えなくてはいけませんね。ひょっとこ面の竈神はないでしょう。

かま神 112-2s
登米市平筒沼農村文化自然学習館蔵 NO.5

ここで子どもが見かけはよくなくても,福をもたらす神となっている物語で思い出す話に西行伝説があります。
日本三景の松島に「西行戻りの松」があります。
西行が松島に来て『月にそふ 桂男(かつらおとこ)のかよひ来て すすきはらむは誰(た)が子なるらん』 と詠みました。
すると農作業の途中だったのか男の子が出てきて,『雨もふり霞もかかり霧もふりて はらむすすきは誰れが子なるらん』 と詠んだのです。西行はその歌の返しの巧みさに驚いて,そなたは何をしているかと尋ねると,男の子は「冬萌(ほ)きて夏枯れ草 を刈っている」と答えたのです。
「冬萌(ほ)きて夏枯れ草」とは何のことを言っているんでしょう。子どもが西行に謎かけをしているんですね。同じ話が宮城県遠田郡箟岳のの岳福島県いわき市,山形の米沢市に栃木県日光市にあるのです。西行は「冬萌(ほ)きて夏枯れ草」が何のことか分からず全国津々浦々で謎かけをされて閉口して引き返すわけです。ですから「西行戻りの松」と言われます。
実際,「冬萌(ほ)きて夏枯れ草 」とは何のことだと思いますか。私は「麦」ではないかと思ったのですが・・・。麦は寒い冬に青々として夏に収穫の時期を迎えるからです。
西行戻りの松だけではありません。西行戻しの涙坂(米沢),西行戻り石(日光市),西行戻しの石(箟岳)とまだまだあります。
青森の弘前にもこんな話が残っています。西行が「磯辺のわらはどハマ馴れてオキ来る波の数覚えたか」と童(わらべ)に聞くとその童がすかさず「西行は宿がなければ野に寝たり空出る星の数覚えたか」と返すわけです。西行は子どもにしてやられるわけです。(2015/8/25の記事「西行こぼれ話その三」から
とんちで西行をやっつけるのは小さな子ども,つまり童です。
聖徳太子は仏教を広めた天才としてしばしば伝説の人となり,信仰の対象ともなっています。ではどうして竈神と聖徳太子が結びつくのか。
その関係を知るために,もう一つ立ち寄らなければいけないところがあります。
遠野の「まいりの仏(十月仏)」についてです。
次回はその話をしましょう。



にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへにほんブログ村 写真ブログ 鉄道風景写真へにほんブログ村 鉄道ブログ 東北の鉄道へ
関連記事