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はしたない人生

鳴子へ 082-2s
枝の雪が解けかかり,朝に雨氷となった。

その急坂の上にわたしの家はありました。
広漠とした沼からつま先立ちで登ってくると,殆どの人は息を整えるために立ち止まってしまう坂でした。
冬などは茶色にすすけた葦や萱などが風にざわざわと揺れているのが分かります。
しかしその音はこの坂の上までは聞えてはきません。
ただ葦や萱などが無駄に広がる湿原は無音の世界で揺れているだけです。

その坂を白い日傘をくるくると回しながらその女の人は登ってきました。
あれは初夏のことだったと思います。なぜなら,随分と葦や萱などが鮮やかな緑になっていたし,ヨシキリのうるさい鳴き声が朝晩うるさかった時分だったからです。

坂に入るやいなやくるくるとよく回っていた日傘ははたと回らなくなり,それどころか痙攣するように不規則な動きをするようになりました。やがて坂の真ん中辺りで日傘は閉じられ,とうとう坂を登るための杖となっていました。

「来たようだよ」
「迎えにいってきておくれ」

わたしは急な坂を転がるように走って下りて挨拶をして,荷物を持ってあげました。

白いガン 074-2s


日傘の女の人は,祖父方の方の親戚に当たる方でした。
首が細く,細身で着物をきれいに着ていました。元々は造り酒屋に嫁に行き,旦那に早く死なれた人だと後で聞きました。顔の表情をあまり崩さず笑う人でした。うちに来るのは嫁に行って挨拶回りで来て以来ということでわたしが生まれるずっと前のことでした。
わたしはそのおばさんが田舎者ではない雰囲気に包まれていることを興味深く思いました。
なにやら仕草や言葉遣いに香り立つような不思議な雰囲気を感じて何気なく観察していたのでした。笑うときに唇の所にハンケチを当てました。そのハンケチは細かいレース飾りがほどこされ,薄絹の柔らかいハンケチで,持つ手が透けて見えるほどでした。

夜の食事が終わった後,テレビを付けました。8時から「8時だよ。全員集合」があるからです。この番組だけはわたしの家で唯一声を立てて笑っても良い番組でした。ドタバタ劇のコントで加藤茶がふんぞり返った時でした。わたしは吹き出して声を立てて笑いました。
するとおばさんは怒ったような声を出しました。
「まあ,なんていうことでしょう。はしたない」

わたしはあわてて笑っていた口を閉じました。笑うためによだれも出掛かっていたからです。そしてわたしの笑っていたことが大変に,はしたない行為であることに気付いて,衝撃を受けました。わたしは,はしたないのです。はしたない人間だったのです。そのことをずばりたった今言われ,宣告されたのです。

鳴子へ 159-2s
峠の駅を越えて

わたしははっとしておばさんの方を見ました。
おばさんは怒りを抑えることもなくテレビを睨んでいました。きれいなハンケチが怒りで握りつぶされているのです。
父親がものすごい勢いでコンセントからプラグを引き抜きました。テレビは一瞬してぷつんと消えました。そして観音開きになっていたテレビの扉を閉めました。そして「もう寝なさい」と言いました。
わたしはショックを押し隠して,両手をついて「おやすみなさい」と深々とおじぎをして休みました。

白いガン 028-2s
珍しい白いマガン

それ以来わたしは自分が「はしたない」人間だと思うようになりました。何十年経っても,わたしは,はしたない人間なのです。翌朝の帰りしなにおばさんからお小遣いをもらいました。きれいな白い和紙に包んでありました。
わたしは白い日傘を傘立てからおばさんに渡しました。細く真っ直ぐな日傘はおばさんに触れたような気持ちにさせました。

私たち家族は玄関前に横一列に並び,当時珍しかった黒いハイヤーに乗り込んだおばさんに別れの挨拶をしました。
ハイヤーは急な坂をゆっくりと慎重に下りて行きました。そしてやがて広い葦や萱の間に隠れて見えなくなりました。


わたしのはしたない人生はそこから始まりました。


この頃子どものころをよく思い出します。
今思えば明治大正に生きていた人々の個性は際立っていたと思い出されます。古き時代に生きていた人々は偉いなと思ったりします。小泉八雲が「明治日本の面影」で感じていた,そのことをそのまま私自身も感じたりします。


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