水鏡の里を往く-東北の心-

気仙沼線-2gs
水鏡(みずかがみ)の里を往く

こちらは先週末,雨が降り,今週末はよく晴れました。田植えが終わり田んぼの水も落ち着いた感じがします。
星がきれいな夜に立つと田んぼに映った夜空が一番きれいに見える季節にいます。田んぼの水の管理は大変でしょう。見回りが欠かせません。気温に合わせて水を少なめにしたり,多めにしたり,根がきちんと土に馴染んでいくまでは心配です。



さて髙橋克彦の新作です。
水壁
髙橋克彦「水壁」
出版社: PHP研究所 (2017/3/11)
発売日: 2017/3/11

歴史の中で辺境の地に住む蝦夷(えみし)と呼ばれ,ないがしろにされ(大体が辺境の地はそのような歴史を辿るけれど),侵入され統治される歴史にあらがい続けた東北の心を書き続けてきた高橋克彦の新作はまた期待できると思われます。私がそんな東北にいて,語られることのなかった歴史に目を向けなければと思い始めてから,その歴史再発見のシンボルのような存在が「アテルイ」ではないでしょうか。「火怨」などは今の人にもう一度読んでほしい,いや必読の一冊と言えると思います。

昔から東北は米作りを通して,日本の食料を作り続けまさに日本の食糧基地としての役目を果たしてきました。また奈良時代に金を産出して歴史の年号までを塗り替えさせ,「吾妻鏡」にはまた良い馬の産出国としても東北は朝廷から注目の的であったのです。藤原三代,源義経,西行,親鸞,一遍,松尾芭蕉,菅江真澄,みなこぞって東北を目指しました。

この東北の自然の中で生きている質というものを考えるときに私が思い出すのは小泉八雲の「明治日本の面影」の中の「おばあさんの話」です。
たった一人の明治時代に生きた68歳のおばあさんが東北に住む人の心ととてもシンクロするのです。
こう書かれます。おばあさんは
「他人のためだけに働き,他人のためだけを思い,他人のためだけに生きる女,限りない愛情と限りなく無私のの心を持ち,犠牲をいとわず,返礼を求めない。・・・エゴイズムを知らず,我が儘とは一切無縁で,人を悪く思うことのおよそできない女。・・・こうした女性は声高にほめられることもなく,静かに愛され,見習わられた。それは,やせた小柄な女性で,いつも黒い着物を着て,梅干しのように皺だらけの顔をしているもう六十八歳になるが髪はまだ烏の濡れ羽色。歯はいたって丈夫で,若い娘のように白くて美しい(まだ歯痛というものを知らないそうだ)。そして,まるで子どものように明るく澄んだ鋭い目をしている(字を読むのにも針を持つのにも眼鏡がいらない)。その上,足腰も達者で一里や二里なら平気で歩いて,神社やお寺の祭礼に出かけていき,孫たちの喜びそうなおみやげを買ってくる。」
なにも東北でもなく日本にはこういうおばあさんはよくいたものだと思われるかもしれませんが,うちのおばあさんがまさにこんな感じでした。自然の厳しい東北の地ではこのように生きて,節制し,生計を立てていたのです。実はこうした姿も東北では当たり前でした。宮本常一「忘れられた日本人」の中の「土佐源氏」に出てくる馬喰の話,「百姓に動物を預けると,とても大切にしてもらいどんな馬も元気にしてもらえる」というくだり,百姓が動物や生き物を人以上に大切に育てていたことが知られる逸話,これは東北の人々とよく重なる部分です。イザベラバードも菅江真澄も,東北を旅した紀行文に東北の人々の穏やかで優しい性格がよく描かれています。吾妻鏡を見ると,平泉の藤原氏もあれだけの貢ぎ物を贈っておきながら返礼は求めず,むしろ中央とは適当に距離を置き,あまり干渉しないでほしいとも取れる態度を取っているようにも思われるのです。欲がないと言えば欲がないのです。つまり多くを望まない小泉八雲に出てきたおばあさんの気質が東北にはずっとあるのです。積極的に自然を変えたりせず今ある環境の中で生きることが前提としてあるのです。これがおだやかさや穏健さに繋がります。

(この話は続きます)


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