麦熟るる日に

虹 030-2gs
収穫間際の麦

あんまり晴れないので少しがっかりする毎日です。
そして結構寒いですね。
梅雨の季節に入ったようです。

昔,農家ではよく麦を植えていました。麦畑も結構点々とあったものです。子どもの頃には,麦畑ではかくれんぼをしたり,麦笛を吹いていました。
寒い季節のお手伝いは「麦踏みをしなさい」とよく言われたものです。自分の家ではよく「はっと(すいとん)」が作られました。今思えば麦を植えることで,米が駄目だった場合の補助作物という意味もあったのかなと昔の人の智恵に感心してしまいます。

さて,麦というと西行伝説によく出てくるなぞなぞを思い出します。「冬萌(ほ)きて夏枯れ草 を刈っている」です。
冬に盛んに伸びて,夏には枯れ草のようになって刈るものとはまさに「麦」ですね。

西行が松島に来て『月にそふ 桂男(かつらおとこ)のかよひ来て すすきはらむは誰(た)が子なるらん』 と詠みました。
すると農作業の途中だったのか男の子が出てきて,『雨もふり霞もかかり霧もふりて はらむすすきは誰れが子なるらん』 と詠んだのです。西行はその歌の返しの巧みさに驚いて,そなたは何をしているかと尋ねると,男の子は「冬萌(ほ)きて夏枯れ草 を刈っている」と答えたのです。
「冬萌(ほ)きて夏枯れ草」とは何のことを言っているんでしょう。子どもが西行に謎かけをしているんですね。同じ話が宮城県遠田郡箟岳(のの)だけ岳,福島県いわき市,山形の米沢市に栃木県日光市にあるのです。西行は「冬萌(ほ)きて夏枯れ草」が何のことか分からず全国津々浦々で謎かけをされて閉口して引き返すわけです。ですから「西行戻りの松」と言われます。
実際,「冬萌(ほ)きて夏枯れ草 」とは「麦」のことで,麦は寒い冬に青々として夏に収穫の時期を迎えるからです。
西行戻りの松だけではありません。西行戻しの涙坂(米沢),西行戻り石(日光市),西行戻しの石(箟岳)とまだまだあります。
青森の弘前にもこんな話が残っています。西行が「磯辺のわらはどハマ馴れてオキ来る波の数覚えたか」と童(わらべ)に聞くとその童がすかさず「西行は宿がなければ野に寝たり空出る星の数覚えたか」と返すわけです。西行は子どもにしてやられるわけです。

このように西行をぎゃふんと言わせる伝承がいっぱいあるのです。びっくりした西行がしっぽを巻いて逃げていく話,西行戻りの話など西行の名を借りた多彩な楽しい話が全国にあるのです。しかし,なぜそんなにも西行の伝承が多いのでしょうか。あまりにもそうした西行の名に関わった地名や逸話が多いので,柳田国男は「西行橋」という論考も残しています。
最近おもしろく読んだ星野岳義「菅江真澄の採集した西行伝承」という論文にはこのような西行にまつわる話が58個も載っています。これは菅江真澄の文章に出てきた数だけですから,実際はその他にも数限りなくあることでしょう。


にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへにほんブログ村 写真ブログ 鉄道風景写真へにほんブログ村 鉄道ブログ 東北の鉄道へ
関連記事