宮沢賢治「チューリップの幻術」-20世紀トレンド-

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ひまわり畑の夕暮れ

「宮沢賢治の「チューリップの幻術」を読みましたか」と聞かれた。
「はて。どんな話だったのだろう」と思い,家に帰って読んでみた。

そして,すぐ思い出したのがタゴール(1861年5月7日 - 1941年8月7日)の「園丁(gardener)」だった。登場人物が「園丁」だったということもあったのかもしれません。どうしてだか「チューリップの幻術」と賢治とタゴールが結びついたのです。今日はそのつながり方を綴ってみたいと思います。

もちろん賢治はタゴールのことを知っていたでしょう。賢治が盛岡高等農林に入学した時の年譜にはこう書かれています。
1915(大正4)年 19歳
1月  受験勉強のため、盛岡市北山の時宗教浄寺に下宿
4月  盛岡高等農林学校主席入学、寄宿舎へ。級長
     主任教授関豊太郎を知り、生涯にわたり指導を受けることになる。 「化学本論」、「タゴール詩集」愛読
     妹トシ、日本女子大学入学
8月  願教寺で島地大等の歎異妙法を1週間聞く
>「タゴール詩集」愛読とあるのです。タゴールは1913年にノーベル文学賞を受賞し,時の人となっていました。また,この翌年の1916年7月,賢治が20歳の時に来日していてるのですから賢治が知らないはずはありません。この時タゴールは56歳だったといいます。では賢治はタゴールの何を愛読していたのでしょうか。『ギータンジャリ』か『園丁』かもしれません。来日に合わせて出版物もたくさん出たと思います。

これに加えて年譜には「4月 妹トシ、日本女子大学入学」とあります。この日本女子大学に成瀬仁蔵がいたのです。トシが日本女子大学に入学して,成瀬仁蔵の倫理講義を受けたことは,今の自分が生きていく意義を見つめ始めるきっかけになったことは確かでしょう。成瀬仁蔵はメーテルリンクやタゴールを取り上げて熱心に講義を行いました。その講義にトシは深い感銘を受けたでしょう。メーテルリンクの『青い鳥』はもちろん『万有の神秘』1916,『タンタジールの死』1914 を知り,トシは熱心に賢治に読むように勧めたと思われます。タゴールについても成瀬は大きく取り上げたでしょう。何せタゴールを初来日させるのに成瀬はひとかたならぬ役目を果たしたのですから。成瀬の尽力でタゴールの来日ができたと言ってもいいでしょう。日本女子大学での講演がタゴールの来日毎に続いたのは,こうした成瀬とタゴールとの親交の厚さが感じられます。当の成瀬は1919年3月に亡くなっていますが,タゴールは日本女子大学での講演を続けています。実際にトシもタゴールに会い,タゴールの講演を聴いています。トシのタゴールを語る手紙や故郷に帰ってきての熱いしゃべり方で,賢治はタゴールの作品や思想に大きな興味を持ったことでしょう。これは賢治にとって大きな思想的な礎になったことは確かだと思います。

タゴールの作品を読んでみると,どこか賢治の自然に対する「心持ち」と似ているところがあったりします。それが作品成立上どんな影響が読み取れるかは研究者にまかせるとして,そのタゴールと賢治,2人の自然に対する見方や「心持ち」の面が,同時代的な息吹として当時の世界,20世紀初頭に満ちていたのではないかと思われるのです。この20世紀初頭という時代は,心霊主義,推理小説の台頭,フロイトによる精神分析学の成立,シュールレアリスム宣言とパラダイムそのものが一新する時代だったのです。20世紀トレンドです。賢治もその流れの中にいて,同じ空気を吸って生きていました。

夏の朝の伊豆沼s
ハスの花咲く朝

例えばオカルティズムと言われる「心霊主義」の嵐が押し寄せ,日本でも吹き荒れたのが同じ時代です。この心霊主義の流れを文学では川端康成らがいち早く受け入れました。その同時代的な考えが賢治自身の感覚の持ち方や構えとシンクロしていくのではないでしょうか。認識構造のコペルニクス的転回と言ってはおおげさですが,少なくても感じ方が変わってきたのです。

よく賢治のことで,唐突で不思議な出来事として語られている岩波茂雄への手紙を読みましょう。
「・・・わたくしは岩手県の農学校の教師をして居りますが六七年前から歴史やその論料、われわれの感ずるそのほかの空間といふやうなことについてどうもおかしな感じやうがしてたまりませんでした。わたくしはさう云ふ方の勉強もせずまた風だの稲だのにとかくまぎれ勝ちでしたから、わたくしはあとで勉強するときの仕度にとそれぞれの心もちをそのとほり科学的に記載して置きました。その一部分をわたくしは柄にもなく昨年の春本にしたのです。心象スケッチ春と修羅とか何とか題して関根といふ店から自費で出しました。友人の先生尾山といふ人が詩集と銘をうちました。詩といふことはわたくしも知らないわけではありませんでしたが厳密に事実のとほりに記録したものを何だかいままでのつぎはぎしたものと混ぜられたのは不満でした。…」

これが書かれたのが1925年です。アンドレブルトンの「シュールレアリスム宣言」とそんなに変わりありません。むしろ1925年2月にはもう森佐一にこう書いています。岩波茂雄への手紙の10か月前です。

「・・・前に私の自費で出した「春と修羅」も、亦それからあと只今まで書き付けてあるものも、これらはみんな到底詩ではありません。私がこれから、何とかして完成したいと思って居ります、或る心理学的な仕事の仕度に、正統な勉強の許されない間、境遇の許す限り、機会のある度毎に、いろいろな条件の下で書き取って置く、ほんの粗硬な心象のスケッチでしかありません。」

もう一度出してみます。「或る心理学的な仕事の仕度」とは何か。『春と修羅』はただのラフスケッチで本当は最後に「或心理学的な仕事」を仕上げてみせる。このような考えがあったのです。


遠野黎明s
遠野黎明のとき


賢治の「チューリップの幻術」にもいたるところ現実世界の認識の枠からはみ出ているところがたくさんあります。それがおもしろいことも確かです。「光の酒」「エステル」「溶けてしまうヒバリ」 まさに賢治ワールド万華鏡です。

最後に川端康成の感覚と賢治の中にある感覚の同時代性を川端の「抒情歌」から見てみたいと思います。どうも「或る心理学的な仕事」が薄く見えてくるような気がします。
「私」は輪廻転生を、「人間が作った一番美しい愛の抒情詩」だと思いながらも、昔の聖者も今の心霊学者も人間の霊魂だけを尊び、動物や植物を蔑んでいるようにも感じた。人間は結局何千年もかけ、自身と自然界の万物とを区別する方向ばかり進み、その「ひとりよがりの空しい歩み」が、今こんなに人間の「魂」を寂しくしているのではないかと「私」は考える。
    
「あなた」に捨てられ、アネモネの花の心を知り、「哀れな女神」でいるよりも美しい草花になった方がどんなに楽しいか、綾子や「あなた」への恨みに日夜苦しめられる哀れな女でいるよりも、アネモネの花になってしまいたいと「私」は何度も思った。愛を失い、全てが味気なくなっていた「私」は「輪廻転生の抒情詩」を読むうち、禽獣草木のうちに「あなた」や「私」を見つけ、次第に天地万物をおおらかに愛する心を取戻していった。                 wikiによる川端康成「抒情歌」より



ネムの木 010s
今が盛りと咲くネムノキ

「禽獣草木のうちに「あなた」や「私」を見つけ、次第に天地万物をおおらかに愛する心を取戻していった。」
これは人間にとって感覚を土台に据え直して,もう一度世界を「再読み込み」しようという試みです。リセットボタンを押したいのです。こういう土台に立てば,「チューリップの幻術」は賢治ワールドを代表する極めて優れた作品の一つだと言えます。



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