二人の菜食主義者-賢治と悟堂- その5-悟堂の実践

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長沼花火

保阪嘉内に宛てた手紙で賢治が菜食主義に入ったのは1918年始めです。そして賢治が「ビヂタリアン大祭」を書いた動機はおそらく1924年(大正13)28歳のときです。藤原嘉藤治が「他を犯さずに生きうる世界というものはないのだろうか」と言った言葉に答える形で書かれたと言います。
一方,中西悟堂が厳しい菜食を始めたのは,大正15年(1926)7月,悟堂三十歳の時です。東京府北多摩郡千歳村に家を借り,「春から火食を絶った生活に踏み切り、そば粉と大根と松の芽を常食とする。」という修験者の穀絶ち修行そのものの生活を始めます。20代の悟堂は短歌集,詩集を刊行し,飯能,京都,松江などで僧職に就いて過ごします。そして30歳になると同時に僧職を辞して突然3年半にも及ぶそば粉と大根と松の芽を常食とする生活に入るのです。この時賢治と悟堂の間に何か関係があったのでしょうか。「春と修羅」が刊行された年ですが,菜食主義という同じ方向性は偶然だというしかないでしょう。しかし,悟堂が賢治の「春と修羅」の影響を受けたのではないかと思われる節が見付けられます。悟堂も何気なく自分を含めた業の深い人間達のことを「修羅」と呼んでいるのです。

今日は,悟堂が30歳にして3年半にも及ぶそば粉と大根と松の芽を常食とする生活について書いてみます。

主食は水でこねたそば粉です。茶碗も箸も使いません。火も使わず米も絶ちます。木の葉や野草は塩で揉んで食べます。風呂の代わりに川に入り,雑木林の中にござを敷いて寝たのです。幼いときに寺に預けられ,行を積むことで虚弱体質を治してきた悟堂にとってはこのような木食修行の生活にも少しの慣れや知識もあったのでしょう。よく穀断ち千日修行,二千日修行と言われる最も過酷な修行がありますが,悟堂はそれを行おうとしていたのだと思います。それも3年半ですから二千日修行を何かの気付きによって途中で切り上げたと考えられましょう。

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長沼花火

悟堂は「野鳥開眼」の中でこう書きます。「食うための会社づとめや売文書きの屈辱から離れ,時間と自然がわたしのためだけにある純粋の日々の中で,魂を誰にも渡さぬ安らぎの歳月を送れることは,むしろ限りない幸福であった。」つまり徹底的に自然に一致した生活を送る,自分が自然の一部になることが望みなのです。ソローの「森の生活」を座右の書として,ホイットマンやタゴールを読み,自分が生かされている自然を理解する生活。これが悟堂の一番望んだ生活だったのです。ある程度の歌や詩が認められている時ではありました。しかし,文学に現れる自分を,より研ぎ澄まされた言葉に結晶化させていきたいという思いが彼の心の底には脈々と流れていたと言えます。賢治が「春と修羅」で研ぎ澄まそうとしていた,現在の感覚の深さを更に超えようとする態度が,同時期に生きている悟堂にも現れていました。

悟堂はつくづく「欲望と欲求不満の塊りである人間が財欲や支配欲や情欲や権勢欲のエゴの中で,むさぼり,憎み合い,悩み,集団としては国と国とで戦争にまで訴えてきた人類史の修羅のすさまじさを改めて透視図として見返す思いであった。」と書きます。ここに賢治が使っていた「修羅」としいう言葉が悟堂も使っていたことに注目したいです。二人とも人間の業を見て自分を「修羅」と見ています。悟堂のこの文章が「春と修羅」を読んだ後に書かれているとしたらやはり悟堂は賢治の考え方のキーワードを既につかんでいたことになります。

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長沼花火 ナイヤガラ 今年は155mでした

さて,悟堂が行った穀断ちの二千日修行は,即身仏になるほどの厳しい修行のメニューです。この穀断ちを木食行と言います。そして水垢離がありますが,ただの水浴びではない厳冬期でも水の中に入り,傍らに置いたろうそくや線香が一本,一把燃え尽きるまで水の中に入り続けたと言います。水垢離が自分の外側から浄化を行う方法だとすると,自分の内側から身体を浄化していくのが穀断ちです。悟堂自身は厳冬期でも外で寝て余りに寒いときには走って身体を暖めたといいます。このような厳しいメニューを自分に課したことは仏教的な修羅からの脱出を模索して,複雑きわまりない自然の理法の欠片でも会得したいという思いからでしょう。悟堂のこうした人生への構えも賢治と似ているところがあるのは不思議です。

ここで悟堂が用いた水でこねたそば粉は最近とても見直されているダイエット食です。木食行,すなわち穀断ちには五穀断ち,十穀断ちがあるそうですがその種類には諸説あるそうです。湯殿山で最後の即身仏になった仏海上人は毎日「数粒の木の実かそば粉を練ったソバガキぐらい」だったそうです。悟堂はそうした修行の内容もよく心得ていたと思われます。
                                    (内藤正敏「鬼と修験のフォークロアⅡの飢餓の宗教・即身仏参照」)

実はこの記事を書いている私も若い頃興味があって水だけで一週間という断食を行いました。食べないことで感覚が研ぎ澄まされていく体験をしました。自然が実に瑞々しく見えてきます。自然の音や鳥の声なども「かぐわしいほどに」美しく聞こえて来るのです。ですからこれらの穀断ちを一定期間行うことで身体や感覚のリセットを行うことができます。
賢治も悟堂も菜食や穀断ちにおいて感覚の研ぎ澄まされ方を自覚していたのではないでしょうか。悟堂も賢治も身体のリセットを行い,感覚を一新させることにおいて限界を超え,その世界に見いだされた言霊を拾い集めようとしていたのです。W.ジェームズの「宗教的経験の諸相」を読むと,神を見るという恍惚とした瞬間がレポートされていますが,あのような超常的な領域に自らをもって実験的にもっていこうとしていたのだと思われます。それが賢治の言う「或る心理学的な仕事」であり,心象スケッチがまず第一段階の未完成なスケッチとしていた理由です。二人は文学領域から送られたれっきとした修験者です。悟堂がこの厳しい修行の中から,まず引き出すことができたのは様々ですが,とりわけ飛ぶ「鳥」の美しい歌であり,可愛らしさであり,人を超えた能力であったことでしょう。


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