穂揃い期-終戦の日に思い出したこと-

終戦の日豊里 079-2gs
終戦の日の気仙沼線

いつも思う。「遠野物語の第九十九話」はとても悲しい物語だと。
明治二十九年六月十五日の三陸海岸大津波のことです。こんな話です。
土淵村の助役北川清という人の家は字火石にあり。代々の山臥(やまぶし)にて祖父は正福院といい,学者にて著作多く,村のために尽くしたる人なり。清の弟に福二という人は海岸の田之原に婿に行きたるが,先年の大海嘯(おおつなみ)に遭いて妻と子とを失い,生き残りたる二人の子とともに元の屋敷の地に小屋を掛けて一年ばかりありき。夏の初めの月夜に便所に起きいでしが,遠く離れたるところにありて,行く道も波の打つ渚なり。霧の布(し)きたる夜なりしが,その霧の中より男女二人の者の近よるを見れば,女はまさしく亡くなりしわが妻なり。思わずその跡をつけて,はるばると船越村の方に行く﨑の洞ある所まで追い行き,名を呼びたるに,振り返りてにこと笑いたり。男はと見ればこれも同じ里の者にて海嘯の難に死せし者なり。自分が婿に入りし以前に互いに深く心を通わせたりと聞きし男なり。今はこの人と夫婦になりてありというに,子供は可愛くないかと言えば,女は少しく顔の色を変えて泣きたり。死したる人と物言うとは思われずして,悲しく情けなくなりたれば足元を見てありし間に,男女は再び足早にそこを立ち退きて,小浦(おうら)へ行く道の山陰を廻り見えずなりたり。追いかけてみたりしが,ふと死したる者なりしと心付き,夜明けまで道中に立ちて考え,朝になりて帰りたり。その後久しく煩いたりといえり。


終戦の日豊里 034-2gs
終戦の日の気仙沼線

もう一つ。これはもう私が10年以上も前に妻の実家のお墓参りに行った時に見付けたことです。

あの年も暑いお盆の墓参りとなりました。
墓参りが終わり,私はその寺の墓地の端の方で家族を待っていました。何気なく近くにあった一基のお墓の墓碑銘に目がいきました。戦争で亡くなった男の人の戒名が刻まれてありました。昭和20年8月19日と刻まれています。その日付の下に南方戦線で戦死した旨が書かれていました。
「終戦の知らせが届かないうちに亡くなったんだなあ。無念だったろうなあ」と思いました。すると,その隣に並んで女の人の戒名が彫られていました。よく見ると,その女の人が亡くなったのは昭和20年8月20日なのです。目を見張りました。亡くなって刻まれた二人の年もそう離れてもいません。確かに夫婦のようです。夫は南方の戦地で19日に戦死し,次の日に夫を待っている妻が日本の家で亡くなったことになります。何千キロも離れていた夫婦が一日違いとはいえ,寄り添うように亡くなっていた事実に驚きました。
夫が先に逝き,すぐに追いかけて妻が死ぬということ。
その事実を知った私は呆然として,混乱しました。

絆というものなのでしょうか。
上の遠野物語と合わせて,私には夫婦というもののつながりとは一体なんなのだろうかと考えました。


これは昨日,終戦の日に思い出したことです。


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