「全肯定」を生み出すもの

敬老会 095-2gs
飛行機雲

ここでフンボルトを取り上げてから,突然「全肯定」と言う言葉を使い始めた私でしたが,それは人が自然のそのままを,そのままに,無条件に受け入れる態度のことを言っています。

自然の中に暮らしている私たちですから,「全肯定」という意味は,自然に深く同化して,その存在しているものを肯定して感じ入るという事を言っています。
例えば陽が昇り,次々と表情を変える空の色に,雨上がりの靄が消えていくときの虹に,雲海の重なり合う雲のひだに,晴れた雪の朝の光る結晶の細やかさに,そうした変化する自然を深く畏敬の念をもって感じ入ることを「全肯定」と言い表わしています。

朝の光が雲につくる真珠のような深い色合いに溶け入ることです
立木たちの離れて立つ微妙な間隔は,リスたちが走り回るために用意されたものと思える肯定感に浸ることです。

実はフンボルトの見方や考え方が,自然と科学と芸術を深く結びつける「結束点」のようになっていることに気付いていました。
自然に深く感じ入っている者が深い表現まで行き着いていることに気付いたのです。このブログでも取り上げる宮沢賢治が,フンボルトが,西行が,ソローが,ゲーテが,中西悟堂が,明恵上人が,柳田国男が,折口信夫が,実は自然に深く感じ入り,そこから思考の触手を伸ばしていくスタンスの取り方をしています。賢治の詩にも出てくるエルンスト・ヘッケルなどはフンボルトの弟子とも言えるほどフンボルトに傾倒していました。

9月土曜 229-2gs

ではどうしてフンボルトが世界でこれ程有名なのに日本にいる私たちに知らされていなかったのでしょうか。実はフンボルトの人物そのものが広く伝記として紹介されるのが日本では1989年という遅さだったと言われます。ピエール・ガスカール「探検博物学者フンボルト」です。これがフンボルトの伝記としての本邦での紹介の初めだったと言われます。これは意外でした。

上り-2s
月昇る

自然と科学と芸術を深く結びつける「結束点」となっているフンボルトの姿勢に近いのが,日本では宮沢賢治でもあったと私は感じています。つまり宮沢賢治の詩人としての自然の見方が実に19世紀的で,西洋で発展した自然観にシンクロしていると言えるのではないかと思えてくるのです。古来より日本では自然と芸術は深く結びついてきましたが,芸術的に自然を見て,科学という表現領域で表現する分野が薄かったのではなかったかと感じさせる部分があります。この辺りをよく見ることは実に興味深いことです。



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