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人のさばくりあるべからず その一

月と土星 068-2gs
10/24 月齢5の月と土星の二重奏

文永11年(1274)の夏であったと言う。
一遍は熊野山中を歩いていました。
一人の僧に出会い,こう言いました。
「一念の信心を起こして,南無阿弥陀仏と唱えて,このお札を受け取るのです」
すると,僧はこう言いました。
「今は一念の信心が起きません。それなのにそのお札を受け取れば,私はうそをついてしまうことになります」
「あなたには仏の教えを信じる心がおありではないか。そのあなたがこのお札を受け取らないということはないでしょう」
そう僧は言って続けました。
「私は経文や祖師の教えを疑っているわけではありませんが,今は信心が起きないことは,どうにもならないことでございます」
そこで一遍は本意ではなかったけれど
「信心がなくてもお受けなさい」と少し無理にお札を握らせた。

このことを一遍は悔いた。
自分の勝手な考えとふるまいで無理に相手にお札を受け取らせたことを悔いた。と同時に一遍にはこの出来事が何かとても重要なことを暗示させている出来事だと深く思い悩んだのです。
(信心があるから救われるというのか。むしろ正直に,信心にゆらぎを感じていると述べている人は救われないのか。)

親鸞であれば「いや信じ切ることです」と諭しただろう。しかし,一遍は正直に信じ切ることができないでいる僧を修行不足だと言うことはできなかったのです。いつも信心には迷いもつきものだと言うことがよくよく分かっていたからです。


月と土星 120-2gs
10/24 月齢5の月と土星の二重奏

このように思い悩む一遍に,あることが訪れました。


「さばくり」とは人が各々自分の理解するように思いめぐらしたり,勝手に自分に都合良く考えたり行ったりすることです。

すみません。続きはまた後で。

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