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白い鳥-賢治の妹トシの命日-

霧の日曜 779-2gs
白い鳥 11/26撮影 伊豆沼

「白い鳥」という今日のタイトルは,宮沢賢治の妹トシが1922年11月27日に24歳という若さで亡くなってから,27歳の賢治が6か月7日ぶりに長い沈黙を破って書いた詩の作品の題名です。
この作品の日付は,1923.6.4です。前の日6.3には「風林」という作品も書いています。
賢治は作品中,白い鳥は,「わたくしのいもうとだ。死んだわたくしのいもうとだ」と書いています。死んだ妹のことをどうしてもあきらめられない苦しい心境が綴られます。
トシが亡くなって明日で95年になります。トシの命日は明日ですから,今日は賢治の妹トシに対する気持ちを考えてみたいと思います。少し長いですがまず「白い鳥」の最終形を引用します。同時に推敲の様子が分かるように,削除は「めんどうだ」というように表記し,挿入は中字で文字を少し大きくして,「←入レ」と表記します。
白い鳥

    ( 《みんなサラーブレツトだ
     あゝいふ馬 誰行つても押へるにいがべが》  )
   (  《めんどうだよつぽどなれたひとでないと》 )( )だったのが《》に書き換えている   古風なくらかけやまのした
   おきなぐさの冠毛がそよぎ
   鮮かな青い樺の木のしたに
   何匹かあつまる茶いろの馬
   じつにすてきに光つてゐる

      (日本絵巻のそらの群青や
       天末の turquois(タコイス)はめづらしくないが
       あんな大きな心相の
       光の環(くわん)は風景の中にすくない)

   二疋の大きな白い鳥が
   鋭くかなしく啼きかはしながら
   しめつた朝の日光を飛んでゐる
   それはわたくしのいもうとだ
   死んだわたくしのいもうとだ
   兄が来たのであんなにかなしく啼いてゐる

     (それは一応はまちがひだけれども
      まつたくまちがひとは言はれない)

   あんなにかなしく啼きながら
   朝のひかりをとんでゐる
     (あさの日光ではなくて
      熟してつかれたひるすぎらしい)

   けれどもそれも←入レ夜どほしあるいてきたための
   vague(バーグ)な銀の錯覚なので
     (←入レ ちやんと今朝あのひしげて融けた金(キン)の液体が
      青い夢の北上山地からのぼつたのを わたくしは見た←入レ )←入レ

   なぜどうしてそれらの鳥は二羽
   そんなにかなしくきこえるか

   それはじぶんにすくふちからをうしなつたとき
   わたくしのいもうとをもうしなつた
   そのかなしみによるのだが
      (ゆふべは柏ばやしの月あかりのなか
       けさはすずらんの花のむらがりのなかで
       なんべんわたくしはその名を呼び
       またたれともわからない声が
       人のない野原のはてからこたへてきて
       わたくしを嘲笑したことか)

   そのかなしみによるのだが
   またほんたうにあの声もかなしいのだ
   いま鳥は二羽、かゞやいて白くひるがへり←入レこの1行が加えられている
   むかふの湿地、青い芦のなかに降りる
   降りやうとしてまたのぼる

     (日本武尊の新らしい御陵の前に
      おきさきたちがうちふして嘆き
      そこからたまたま千鳥が飛べば
      それをみこと尊のみたまとおもひ
      芦に足をも傷つけながら
      海べをしたつて行かれたのだ)

   清原がわらつて立つてゐる
    (日に灼けて光つてゐるほんたうの農村のこども
     その菩薩ふうのあたまの容(かたち)はガンダーラから来た)

   水が光る きれいな銀の水だ
   (さああすこに水があるよ
    口をすゝいでさつぱりして往かう
    こんなきれいな野はらだから)
この作品は題名も「白い鳥」のまま,加除訂正もあまりないので,イメージはすでに出来上がっていたと思います。

ところが少し不思議に思うことがあります。

霧の日曜 567-2s
二疋の大きな白い鳥 11/26撮影 伊豆沼

二疋の大きな白い鳥は,まずハクチョウと見立てていいと思います。サギだと「日本武尊のたましい」と意味的に結びつかない感じがします。ハクチョウだと考え,少し不思議に思うことは,ハクチョウが6月の朝に岩手を通過するのはかなり時期的に遅いと思うのです。全く可能性がないとは断言できませんが・・・。ということは以前に見たことを覚えていて6月4日に書いたのか,もしくは実際に6月4日朝にハクチョウが上空を通ったのか。そしてハクチョウが「湿地に、青い芦のなかに降りる」というのも少し違和感があります。ハクチョウはけっこう身体が大きいので着水にも,飛びたちにも助走が必要です。湿地だとするとかなり大きな池や水たまりがあると思われます。

次に作品の成立について考えてみます。

霧の日曜 757-2s
二疋の大きな白い鳥 11/26撮影 伊豆沼

トシの死後,半年ぶりに書いた賢治の「風林」と「白い鳥」はつながっているようです。というのもどうやら6月3日の夜に夜通し賢治は歩き続けて翌朝4日に白い鳥を見たようです。
 けれどもそれも夜どほしあるいてきたための
   vague(バーグ)な銀の錯覚なので
     ちやんと今朝あのひしげて融けた金(キン)の液体が
      青い夢の北上山地からのぼつたのをわたくしは見た

とあるからです。
「風林」の一節にこうあります。
とし子とし子
   野原へ来れば
   また風の中に立てば
   きつとおまへをおもひだす

   おまへはその巨きな木星のうへに居るのか
   鋼青壮麗のそらのむかふ

    (ああけれどもそのどこかも知れない空間で
     光の紐やオーケストラがほんたうにあるのか
     …………此処(こご)あ日あ永(な)あがくて
         一日(いちにぢ)のうちの何時(いづ)だがもわがらないで……
     ただひときれのおまへからの通信が
     いつか汽車のなかでわたくしにとどいただけだ)

   とし子 わたくしは高く呼んでみやうか
と書かれています。そして場所は「柳沢(やなぎざわ)の杉はなつかしくコロイドよりも/ぼうずの沼森(ぬまもり)のむかふには/騎兵聯隊の灯も澱んでゐる」とあります。岩手山の麓の「柳沢」「沼森」辺りの「かしわの林」を夜っぴて歩いていたのです。それもどうやら生徒や同僚も一緒のようです。「一列生徒らがやすんでいる」とも書いているからです。学校の行事のかち歩きがあったのでしょうか。

このかち歩きの夜。6月3日は晴れていたようです。「おまへはその巨きな木星のうへに居るのか」と,木星が出ています。この1923年6月3日の夜の空に木星は本当に出ていたのでしょうか。ステナビでその日の星空を見てみましょう。

192363の夜-2
1923年6月3日の21:00頃の夜空 確かに木星は出ています「おまへはその巨きな木星のうへに居るのか」

この1923年6月3日の夜空に確かに-2.4等の明るい木星が出ています。明るいので一際目立ったと思います。この木星は午前3時頃西の空に沈みます。月は月齢18.7の居待ち月で22:28に出ます。もし賢治が夜通し歩いていたとしたら月がお伴していたでしょう。太陽は6月ですから夜7時頃沈んですっかり暗くなるのは8時過ぎということになります。
さて目立つ木星は夜9時半頃に高度35°くらいで南中を迎え,あとは沈んで行きますから,賢治は明るく輝く木星の上にトシを置いて想像したことになります。木星の上となると天秤座か乙女座のことを言っているのでしょうか。
賢治はこうした星々を眺めながら夜通し歩き続けて,翌朝に「ひしげて融けた金の液体」の太陽を見て,白い鳥が二羽と飛んでいくのを見たのです。コォーッ コォーッとハクチョウは鳴き交わしながら飛びます。多分もう遅れに遅れたつがいなのでしょう。北帰を急がねばなりません。その鳴き声は「鋭くかなし」く,大切な家族を救うことができなかった自分の非力さを思うのです。

私はハクチョウになったトシを追いかけて,およそ2か月後,北の樺太に向かった賢治に鳥になったトシというイメージのこだわりを感じます。大和武尊のみたまをハクチョウに見たように,トシをハクチョウに見立てることは日本人にとっては自然なのかもしれません。何よりも渡り鳥が神の使いと考えた歴史は古く,マガンやハクチョウなどの渡り鳥が新しい年を連れて神と一緒に降りてくるというイメージがあるからです。

霧の日曜 153-2s
大きな白い鳥 11/26撮影 伊豆沼

トシは大きな白い鳥となって毎年自分のところに帰ってきてくれると賢治は考えました。
また帰ってくる。しばしの別れだ。また帰ってきて家族に元気な姿と声を聞かせてくれる。「元気で帰ってこいよ」賢治はトシにそう言い聞かせて白い鳥,ハクチョウを見送ったのでしょう。
                                                                       合掌


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