FC2ブログ

中世期の実像を求めて-北上川沿い-

金曜日 117-2gs
東北本線 新田駅 12/8

先日,遠野の石碑調査を読んでいた際に,遠野市綾織地区の「最古は,明和元年(1764)「青面金剛塔」碑 愛宕神社入口」で,土淵地区は「最古は,享保7 年(1722)「南無光心天王」碑 薬師堂南西」となっていました。この土淵地区の最古の「南無光心天王」の「光心(こうしん)」とは,「庚申(こうしん)」でしょう。とても珍しい表記です。
いずれにせよ,私が住んでいる宮城県北部の石碑を見ていると,遠野のこれらの石碑の年代が実に新しく思えるのです。鎌倉初期のものもあってもよいと思えるのです。例えば,岩手で最古と言われている石碑が一関市川崎門崎の最明寺にある建長8年(1256)の石碑で,次に平泉中尊寺の文永9年(1272の石碑)と,岩手県立博物館発行の「岩手県の板碑」(2015)に書かれています。そこで司東真雄「岩手県中世の石塔婆」を見ると,遠野松崎神社観音堂に天文6年4月14日(1537)の板碑があると書いてあります。ですからもっと実態は遡ってもいいはずで,現存する記録から実物に該当する石碑だけを取り出したために享保まで新しくなったのかもしれません。

ちなみに「岩手の板碑」から地域別にその数を書き出してみましょう。
岩手県の板碑の地域での分類
地域板碑数(基)
胆沢・江刺郡50
気仙郡67
上閉伊郡2
下閉伊郡4
和賀郡2
稗貫郡4
紫波郡62
岩手郡2
二戸郡6
鹿角郡1
やっぱり北上川沿いに多いと言えます。

特筆すべきは岩手県にある石碑1000基強のうち,北上川流域の一関,平泉のある磐井地方に800基もあるというのです。これは異常に高い密度です。つまり北上川沿いに異常なほど石碑が多いのです。これは宮城県でもそうで,北上川河口の石巻を起点として北上川沿いに異常な密度で鎌倉期からの石碑が存在しているのです。
これらは北上川沿いに天台宗の寺が多いことに関係しています。また,北上川に沿った宮城県北部や岩手県南部の石碑の材質が石巻の稲井(いない)石,井内石とも言うからして稲井石文化と呼ばれたりもしています。興味深いのはどういうきっかけでこれ程に多くの石碑が建てられることになったのかということです。中尊寺から鎌倉の葛西までの武士文化が東北で花開いたといってもいいでしょう。この中世期の鎌倉,室町,南北朝時代に東北はどのように変遷を遂げていったのかを石碑で読み解くことができると思います。これが遠野の文化を読み解く鍵にもなると思います。
しかし,幾層にも薄く重なった生活や文化の変化を,宗教の入り組んだ重なりを一つ一つ剥がしていく行為は大変難しいことでしょう。

次回は今回のきっかけとなった遠野の石碑調査の結果から考えられることを書きたいと思います。


にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへにほんブログ村 写真ブログ 鉄道風景写真へにほんブログ村 鉄道ブログ 東北の鉄道へ
関連記事

コメント

非公開コメント