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中世期の実像を求めて-遠野の石碑調査報告から-

鳴子へ 194-2gs
陸羽東線 堺田駅

うっすらと雪が降りました。
そこで雪景色の写真を探しました。出てきたのが分水嶺の駅と知られる堺田駅の写真でした。

さて,遠野の石碑調査の考察部分を載せておきます。この資料は遠野文化研究センターが出している「遠野市綾織町石碑調査報告書」です。調査時期は「平成25 年(2013)に遠野文化研究センター職員によって行なわれた遠野市土淵町石碑調査の結果を参考にしながら、平成26 年(2015)から平成28 年(2016)にかけて現地調査を行った。」もので,最新の調査になります。石碑は「 253 基」だそうです。まずはその考察を読みましょう。
最古は,明和元年(1764)「青面金剛塔」碑 愛宕神社入口次は安永2年(1773)「念佛供羪塔」碑 照井工務店付近紀年銘が刻まれ判別できる石碑のうち、綾織町内最古の石碑は、明和元年(1764)に建てられた「青面金剛塔」である。
時代別にみると、江戸期に建てられたものは40 基、明治以降に建てられたものは112 基、年代不明が101 基である。
寛政12 年(1800)までの石碑は10 基あり、内訳は念仏5 基、祭祀講碑4 基、不明1 基である。
19 世紀に入ると、金毘羅などの社寺参詣碑、馬頭観世音などの馬畜供養碑なども加わり、0~5年間隔で継続的に町内に石碑が建てられた様子がうかがわれ、建碑が本格化してくる。しかし、
天保3 年(1832)~天保12 年(1841)の8 年間は町内で建碑された石碑は確認できない。嘉永年代(1848~)以降は再びペースを取り戻す。
次にここで遠野市土淵地区の調査の考察も併せて引用させていただきます。調査時期は「昭和49 年(1974) に遠野市立博物館によって行なわれた石碑調査の結果を参考にしながら遠野文化研究センター職員による現地調査を行った。山口地区は平成21 年(2009)に遠野市教育委員会によって行われた調査結果を引用した。(遠野市教育委員会 2013 年3 月 『遠野市文化財報告書第5 集 「遠野 土淵集落」文化的景観保存調査報告書』)」とあります。
最古享保7 年(1722)「南無光心天王」碑 薬師堂南西。次は享保10 年(1725)「奉書□大乗妙典一字一石」碑 常堅寺入口。
土淵町内最古の石碑は、享保7 年(1722)に建てられた「南無光心天王」である。これは「庚申」を「光心」と記す県内唯一の碑である。
時代別にみると、江戸期に建てられたものは78 基、明治以降に建てられたものは108 基、年代不明が72 基である。寛政12 年(1800)までは12 基建てられ、内訳は庚申8 基、念仏3 基、山岳1 基と、庚申塔が過半数を占める。
19 世紀に入ると、金毘羅、西国順禮塔などの社寺参詣碑、馬頭観世音などの馬畜供養碑なども加わり、0~5 年間隔で継続的に町内に石碑が建てられ、建碑が本格化する。しかし、天保7 年(1836)~天保14 年(1843)の8 年間は町内で建碑された様子は見られない。天保15 年(1844)以降は再びペースを取り戻すが、庚申塔の建碑は1860 年代より衰退していく。
20 世紀に入ると、初頭から中期ごろに社寺参詣碑、馬畜供養碑などの建碑はピークを迎え、
替わって人物の功績を讃える顕彰碑や、建築を記念した記念碑などが登場する。また1990 年代からは、詩歌などを刻んだ歌碑も建てられるようになる。これらの石碑の盛衰は岩手県内では一般的な傾向である。
と書いてあります。

鳴子へ 215-2gs
峠を登る 陸羽東線 堺田駅に下り電車が入ります

ここでこんなことがが思い浮かんだのです。
・意外と新しい石碑が多い。道路整備などで整理されたのではないだろうか。
・鎌倉,室町,南北朝期の板碑などはないのだろうか。あってもいいはず。
・司東真雄氏の「岩手県中世の石塔婆」や「遠野町史」「岩手の板碑」(岩手県博物館)と比較してみたい。
・宮城県北の石碑と比べてみたい。

広大な考察になりそうですが,まずはメモのようにして少しずつ思いつくままに綴っていくことにしました。


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