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花の時間-夜の気仙沼線小金沢駅-

気仙沼線 018-2gs
月夜のホーム 気仙沼線 小金沢駅 7年前の震災以来このホームで電車を待つ人はいなくなった
とても美しい駅だったと思う。この駅に立てば海から日は昇り,夜ともなれば月が昇った。

家の軒先に梅の花の花びらが落ちるようになった。
古い家だと雨戸を繰った黒光りのする縁側に白い梅の花びらが舞い入ってきたりしたのであろう。それを家人が春の訪れとしてしばし眺め春を祝ったのだと思う。柳田国男の「雪国の春」はそうした東北の風景にしばし思いを寄せた作品だと思われる。南から来た暦があまりにも雪深い東北の地に合わなかったことは確かで,厳寒の季に執り行われる正月の行事は東北人にとっては早すぎる春の迎えを願う行事となった。雪の上で田植えをするのである。しかし,早すぎるそれらの正月迎えの行事は東北にとって春を深く乞い願うしきたりとして残ってきたのだと思います。

私は先回の「春を待つ心」で,「東北の春というのは,おぼろな春霞の背景から少しずつ浮き上がってくるものですから,やがてある朝に待ち続けていた春がはたと存在感を表すことに驚かされます。・・・。こんなおぼつかなさが東北の春にはあります。」と書き,「遠くのものを我慢強く待ち続けるテンポがまだ東北にはあるのです。その待ち遠しいという明確さに欠けた時間が実は私たち東北人の心を育ててきました。」とまとめました。およそ4月の下旬なってやっと花々が咲くこの地では実に半年に及ぶ冬の時間が存在しているのです。

月夜の踏切-2g-2s
月夜の踏切 気仙沼線 小金沢駅 

時間というのは均一に過ぎ去っていくものではないと言うと何を言うのかと怒るでしょうが,どうも花の時間は均一に数えられるのではなく質的に全く違った時間が流れているのだと感じられるようになりました。折口信夫だったか,春は古来より,「張る(はる)」と言われものがその器の中でいっぱいになること,充溢していくこととを意味している。冬は「増ゆ(ふゆ)」で増えていくことを意味していました。自然では発生のとらえ方として,充溢したものがまるで爆発して花として現われ出てくるような見方をします。つまり質的な絶対的な変化が訪れるのです。これが均一の時間変化に当てはまらないのではないかと思っているのです。花は咲き始めるとすごい加速度的に成長を遂げていきます。咲く前の時間の伸びと咲いた後での時間の伸びは全く違っているように感じませんか。
私はホタルの写真も撮りますが,全く花と同じ時間の質の違いを感じています。たった一週間のホタルの劇的な変化は実に濃密な時間変化ではないでしょうか。これを科学では動植物の「積算温度」という考え方で開花の予想を立てたり,ホタルの発生予想にしていますが,とても難しい分野でしょうね。花の時間と人の時間の違い。もう一度ゆっくり花を眺めて考えてみたいものです。


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