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柳田国男が清光館で見た「浜の月夜」

異途への旅立ち 019-2gs
北三陸のヤマセに煙る星空 北山崎で

柳田国男の東北旅行は大正9年の8月4日に仙台から始まり,三陸沿岸を北上して9月12日に秋田県で一区切りを迎えました。
8月10日には一関,そして気仙沼へ足を伸ばし,8月13日には遠野にも立ち寄り,先に来ていた慶應の教員松本信広と合流し,遠野を15日に出発しています。そして20日に釜石で追いかけてきた佐々木喜善と合流して,三人旅が始まりました。佐々木喜善の日記には「八月二十日 雨 旅行ニ出ル、柳田先生ニ出合フベク釜石ヘ。」とあります。そして「八月三十一日 晴れ 八戸ヲ立チ、夕方遠野に着、夜家にカヘル。トコロガ町ニネフスキー君ガ来リイルト云フ。明日マタ迎ヘニヤルコトトスル。」とあることから三人は八戸まで十日かけて北上しています。途中,久慈を越えて北上の旅は見晴らしのきくなだらかな道となります。長い旅も終わりになり三人は和気藹々と進んで行ったでしょう。

この旅の様子は「豆手帖から」と題して東京朝日新聞に19回にわたって連載されていました。貴族院書記官長を46歳で辞した柳田は東京朝日新聞の客員となっていて,彼が長年温め続けていた民俗学の採集の旅が始まったのです。そして佐々木喜善の居る東北にやってきたのでした。

今回柳田国男の東北の旅をおさらいしてみると,まさに古来からの歩きの旅の最後の時代に来ていることが分かります。東北本線は開通していましたが,本線から離れると旅は大変だったでしょう。ちょうど大正10年あたりから所謂東北本線に接続する支線が続々と開通していく軽便鉄道のの時期にあたります。それ以前ですから移動は馬車か歩きか自動車に限られていたでしょう。また三陸沿岸では船での移動が楽だったでしょう。

今日の記事のタイトルは「柳田国男が清光館で見た「浜の月夜」」としました。東北沿岸の旅も終わりに近づいたお盆の夜のことでした。三人は久慈を後にして駅で言えば侍浜,陸中中野,有家,陸中八木と進んで行きました。その陸中八木駅の手前が小来内という小さな部落で,その部落にたった一軒だけの「清光館」という宿屋があったのです。彼らはそこに泊まりました。その夜が柳田にとっては忘れられない夜となったようです。なぜならちょうど6年後の1926年月遅れのお盆に柳田はわざわざこの清光館を訪れているからです。
忘れられない夜となった小来内の清光館での一夜とはどんなものだったのでしょうか。「浜の月夜」にその夜の様子が書いたあります。「浜の月夜」ですから再訪した時の星空を再現してみました。

柳田国男が再訪した陸中八木駅-1
6年後1926年再び小来内(今の陸中八木駅から南の地区)を9月21日に訪れた時の星空。旧盆の頃で満月前夜の明るい夜だった。

もう「あんまり草臥(くたび)れた」と始まる「浜の月夜」は,三陸の長い旅もそろそろ終わりに近づいた見通しもついたのでしょう。いつになく情緒豊かに綴られていきます。この日は小来内(現在今の陸中八木駅から南の地区)というさびれた漁村にあるたった一軒の宿「清光館」に泊まることにしました。この清光館は岡の影に西を向いて建っていて小さくて黒い宿でした。2階に上がると障子が4枚ばかり立てられた部屋でした。ところが宿の若い夫婦はそれ客だと一生懸命板敷きを拭いたり,夕食の魚は何を出そうかとしきりに一生懸命で盆の帰る仏様もあろうというのに申し訳なくも思ってしまう。
外はもう蝙蝠もとばない黄昏で黒々とした岡の遠くに波が崩れる音だけがしている。長かった三陸の旅だったがもう九戸に入っている。明日は種市に行けば八戸はもうすぐだ。この北三陸まで来ると何故か北の海が少し寂しさも連れてくる。おだやかな海ながら北の果てにはるばる来たという気持ちになる。
 見れば,五十戸あまりの村と言うが,薄く月が昇って光に照らされた屋根は十二三戸ぐらいしか見えない。
「今夜は踊るのかね」と主人に聞くと,「もう踊る頃です」と言う。ふと波音の上に歌の声が始まる。岡の向こうの街道の共同井戸あたりが踊りの場所となるらしい。切れ切れに歌声が聞こえ,いつの間にかするすると昇った月が辺りを広く照らしている。少し雲も出て来た。踊りは笛も太鼓もない。寂しい踊りだと思う。後から来る者が踊りの輪から出た手によって輪の中に引っ張られていく。踊るのは女ばかりで男衆は輪を取り囲んでいる。踊っている女衆はみな白い手ぬぐいをかぶり顔は見えない。帯も足袋も揃いの白で真新しい下駄を履いている。前掛けは紺無地だが今年初めてその前掛けに金紙で家紋やら船印を貼り付けて工夫を凝らしているらしい。時折月の光が踊りに会わせてその飾りに反射している。踊りの動きに合わせてちらちらと光る様もまたいいものだ。歌を歌う女はまたなんとよく透る声だろう。太鼓も笛もなく歌だけが波の音を圧して月の光に色を添えているようだ。
 「なんと歌っているのか」とそこら中にいた村人に聞いたが,にやりとして首をかしげた。何でもごく短い発句を三通りくらい高く低く繰り返しながら歌うらしかった。
翌朝出立の際に共同井戸の所を通ると,掃いたよりもきれいに楕円の輪が残っていた。昨晩の踊りの輪の跡である。村人は昨日の満月一つ前の月の光で踊ったことなど忘れたように動いている。今夜は満月だ。また一生懸命黙々と月の下で踊ることだろう。

異途への旅立ち 089-2gs
北三陸の日の出

八木から一里余りで鹿糠(かぬか)という宿場に入る。ここでも浜へ下りる辻の処に小判なりの踊りの跡の大遺跡があった。夜明け近くまで踊ったはずなのに疲れも見せぬ女衆にはきついだろうに。



今日の文章は「浜の月夜」で感じた景色を私が再話するような形で書きました。柳田が優れた書き手であったことを感じさせる短編です。尚,この夜から六年後の丁度お盆に柳田は再度小来内の清光館を訪れています。この夜が三陸の旅で忘れられない夜だったと思っているからでしょう。その様子は後の「清光館哀史」に綴られます。
その話はまたします。

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