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語り部 伊藤正子さんを悼む

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昨年5月31日に亡くなった昔語りの語り部 伊藤正子さん 平成17年10月の昔語りの様子

今日はお盆の入り。
迎え火を焚いて,ご先祖さんの精霊を迎え入れます。この日本独特の魂の考え方はなかなかいいなあと思います。

さて今日は登米市迫町新田の昔語りの伊藤正子さんが平成29年5月31日に亡くなってから一年が過ぎました。実は訃報のニュースが信じられず,伊藤正子さんの昔話を聞いてきた年代としてはショックでした。ずーっと前からお礼の言葉を述べたいと思っていました。正子さんに昔話をお願いしたこともありましたから遅すぎたお礼の言葉になるでしょう。許して下さい。

伊藤正子さんは大正15年生まれ,平成29年5月31日に亡くなりました。享年92歳でした。
2013年封切られた酒井耕,濱口竜介監督で「うたうひと」に出演しました。「うたうひと」は, 『なみのおと』(2011)『なみのこえ』(2013)に続く東北三部作の第三部に当たる構成です。東日本大震災という未曾有の被災から伝承していくことの意義を,もう一度「昔語り」から問い直してみようという視点から作られています。「栗原市の佐藤玲子、登米市の伊藤正子、利府市の佐々木健を語り手に、みやぎ民話の会の小野和子を聞き手に迎えて、伝承の民話語りが記録された(映画紹介から)」
伊藤正子さんの語りが永遠に消えない記録として亡くなる前に映画として残ったことは本当によかったと思います。正子さん自身も喜んでいることと思います。

伊藤正子さんは79歳の時に「ニューエルダーシチズン大賞」を受賞しています。語り部としての伊藤正子さんの実績でした。その時に昔話の文化的な位置の高さを認めてもらったようで安心したことも憶えています。常に百話程度を語ることができて,レパートリーは二百話を越えるそうです。正子さんの語りはよく透る声で張りがあり,穏やかな心落ち着く語り口でした。何回語ってもで一字一句同じなのです。興に乗ると変わるのではなく,いつも一字一句同じなのです。そうした昔通りの正確な語りを常時百話できるのです。

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昨年5月31日に亡くなった昔語りの語り部 伊藤正子さん 平成17年10月の昔語りの様子

ここにみやぎ民話の会の伊藤正子さん紹介がありますから載せてみます。
 (伊藤正子さんの語りは)母のよしのさん,その母のよふさんからの伝承で、母から娘へと女系をたどって受け継がれているのが特徴です。正子さんにとって祖母にあたるよふさんは宮城県登米郡新田から隣の南方町へ嫁ぎました。そして、母よしのさんは南方町から新田へと嫁入りします。正子さんは登米郡新田で生まれ育ち、隣家の伊藤家に嫁ぎ、そこでいまも元気に暮らしておられます。つまり、伝承の水脈は新田から南方へ、そして、南方から新田へ行ったり来たりして、いま正子さんの口から溢れているわけです。祖母も母も正子さんも農家のお嫁さんです。農作業の合間を縫って、手仕事をしながら、昔話を語ってきたということです。
 なお、語り手永浦誠喜さんとは年齢の違う従兄妹同士です。両者の語り手を比較した資料として、『聴く語る創る』第11号(日本民話の会発行・2004年)があります。また、正子さんの語りは、みやぎ民話の会叢書第9集『母の昔話を語り継ぐ』(みやぎ民話の会発行・2000年刊)として百余話を収めています。
レパートリーは200話近いという。19歳で嫁ぎ子育てと農業一筋に生きてきました。幼いころ私は電灯のない農家に育ち、秋から冬の長い夜は母の語る昔話を聞いて育ちました。その数ははっきりわかりませんが、およそ200話は超えたでしょう。


ここで読売新聞に載った伊藤正子さんのインタビューも思い出しましょう。

「同じ話を何回聞いても、またその話かと思ったことがないのが不思議です。「も一つ、も一つ」と言ってせがんだものです。そして最後にその内容によって「ほだがらな稼がねばだめなんだ。ほだがらな人真似ばりではだめなんだ。ほだがらな嘘語りしてはだめなんだ」と私たちに生きる道を教えてくれたものです。

 「おれ、ばん様のように上手に語られねもや、ばん様は本当に上手だった。悲しい話は語るごとに涙を流して語る人だった」と亡き母(私には祖母)を偲んでおりました。祖母は数百の話を知っていて語ってくれたそうです。
 母が亡くなって3年後、昭和46年、私はこの語りを残したいと思って71話を全部母が語ってくれた方言そのままに書き、迫町公民館主事の太布さんのお力で一冊の本にまとめました。それがきっかけで北方公民館主事の星さんのおかげで、小学校、幼稚園、保育所、老人会、婦人会から頼まれ、民話の語り部として歩いております。その後、宮城民話の会の方の手によって。平成12年、117話をまとめた本ができました。

 宮城県庁が新築された時、大講堂のステージで語ったこと、また、宮城県小、中、高校の図書研究会の先生方200人余り集まった会場で1時間半語った思い出は忘れることはないでしょう。NTTテレホンサービス用のテープに60話、また、テレビ出演8回、ラジオ放送には数十回出ております。先日4月3日のラジオの深夜便で聞いたと手紙や電話を思わぬ人からもらい驚いたり喜んだりしております。小学校の子供たちからの感想文も何百通。亡き母が残してくれた宝物と感謝し、生きる喜びにしております。

 民話を聞くいきいきした子供らの瞳に会う時、語る幸せをしみじみと感じます。人生の生きるヒントや真理がこめられている民話、子供の想像力や記憶力を伸ばし、豊かな心に育ってくれるよう願いをこめ、命ある限り語り続けたいと思っております。

 もう一つの趣味は短歌です。地元の趣味の会に入って16年。山形の山麓という結社に入って13年。毎月10首提出、6首ほど取られ冊子が届きます。樹陰作品に入った時の嬉しさも格別です。愚作ばかりですが、生きる証に作り続け、欠詠せずに続けております。
 また野菜作りは一手に引き受け、新鮮な野菜を使っての食事の支度も私の生き甲斐です。

 80年近く生きてきた人生経験を生かし、知恵を働かせて、体を動かし、いつもいきいきとすてきに生きる。これが私の生きる目標です。残りの人生を健康で明るく生きるために、感謝の心を忘れず、お互いの人権を守り、いたわりの心を持って接し、家族の和を一番大切にした老後を送りたいと思います。いつもいきいきと輝いているために年をとってもおしゃれをし、常に新しいものに挑戦し、楽しく夢のあるおばあちゃんを目指します。

 うす暗きランプの下に膝寄せて母の民話を聞きしは遠し

 吾語る民話に児らの瞳は光る豊かな心に育てと願う

 又きてねの声にふりむけば二階にて民話聞きたる児らが手を振る
(2005年8月23日 読売新聞から)

何と南方の語り部永浦誠喜さんとはいとこ同士。そして二人の昔話のルーツは同じ。おばあさんのよふさん。

伊藤正子さん,永浦誠喜さんという極めて優れた二人の語り部が,さらに祖母のよふさんという同一人物をルーツとしてどう語られ,そして語り続けたのかを探ることは「語りの伝承のメカニズム」を解くのに極めて大切な材料となります。女語りや男語りの違い,バリエーションの違いなど二人の語りの記録を比較すると「語りの伝承のメカニズム」が浮かび上がってくるのではないでしょうか。とても興味深いところです。

戒名は「芳英院正室妙伝清大姉」

合掌


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