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風景一考

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気になる景色11/11撮影

何の変哲もないそこら辺にある景色が,ある日よく見ると妙に気になってしまうことがある。
日に何回となくこの場所を通り過ぎているが,紅葉で色づいたからなのかそこを見ると,樹肌の色や模様,幹の並びや色づいた葉が浮き立って見える。どうして今まで気付かなかったのかとおもむろにカメラを向けてみるが,どのように写しても妙に気になっている感じが写真に現れ出てこない。横か縦か,明るさか,コントラストかといろいろにいじって撮ってみる。しかし何をどうしたらこの変哲もない誰もが通り過ぎる景色が自分の感情のひっかかりに見合うようになるのか,試行錯誤だけが重なっていく。

倉田百三といえば「出家とその弟子」や「愛と認識の出発」という古き旧制高校時代の青春の必読書と言われたらしいが,彼が短歌か俳句を始めた頃に,歌おう歌おうとして「ものを凝視しすぎて」ノイローゼに罹ったと聞いたことがあった。すべてのものには美しさが宿っておりその本質に気付くときにその美しさが表出してくるという考えなのか,なんでもかんでもことごとく見逃さないように神経を集中しすぎて強迫神経症に罹ったのだ。そんな危険が景色を見る者にはあるかもしれない。大体があきらめて帰ろうとすると素晴らしい光が差してきたとか,後でとても悔しい思いをすることはざらにある。

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今朝11/11の内沼

何の変哲もない景色になぜこんなにこだわるのか,どうして今まで気付かなかったのかと悔しがるのか,自分でもよく分からないものだが,例えば周囲の景色や人が新しく魅力的に見えてしまうことは間々ある。別段気にもしていなかった女の子から告(こく)られたとしよう。その時から相手がまるで別な存在に見え始めることがある。そんなことを昔は恋と言ったのかもしれないが,自分の理解を覆す出来事が起こるのである。外界からのある働きかけで自分の見方が全く変質していってしまうのだ。そんなことを考えてみる。だったら紅葉した葉が自分をそうさせたのかしら。ある日突然に対象が注目に値するものに変わっていることに自分がはたと気付く。ぬいぐるみを買おうとする。たくさん並べられている中で,自分をよく見てくれているぬいぐるみの視線にはたと気付く。
この直感は何なのだろうか。

劇的だから優れた風景だというわけではなく,自分に何かを訴えかけてくる風景だからこそ私たちはしばし立ち止まってその風景を見ている。だから風景は一期一会であり,自分の考え方や感情を自由に開いておかないと,何の変哲もない風景と処理してしまう自分に気を付けなければないないのだろう。今見ている風景を絶景に変えるのは自分です。



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