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封印された時間-百姓一揆覚書き-

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副光のゆらぎ

今日から「封印された時間-百姓一揆覚書き-」というタイトルで覚書きを載せます。明治二年の百姓一揆についての覚書き等になります。「ご一新」という明治維新に期待していた農民達は止めどなく続く天災と戊辰戦争の痛手と相まって困窮の極を迎えていました。がらがらと崩れていく社会構造と社会制度。たった150年前のことなのに地獄を見るようです。今年は明治維新150年だそうですが,ちゃんと見ておきたいと思っています。


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枯れ残る色

1865(慶応元)年佐沼地方は水害,冷害,旱魃等の天災つづき,大凶作となる。夏綿入れを着る。○6月3日より百姓一揆起こり,一万六千人ほど高清水,力石に来たがなだめられ退散。○12月23日封内五十九万石余の水旱害の損害を幕府に報告。
1866(慶応二)年七月。栗原郡若柳町元町および一迫・ニ迫・三迫の農民,凶作と重税に苦しみ,百姓一揆を起こす。○水害のため封内八十八万三千余石の損害。
1867(慶応三)年佐沼地方旱魃のち水害。○封内水旱害のため五十五万余石の損害。
1868(慶応四,明治元)年六月洪水。八月二十七日明治天皇即位の大礼。○十月二十日西磐井で百姓一揆。
○十二月四日米川狼河原で百姓一揆。○旱魃で大不作。
1869(明治二)年一月十八日新田村から百姓一揆が起こり,佐沼付近十か村の農民が四日間南方大嶽山にこもる。一揆勢は仙台藩士大町蔵人,邑主亘理氏に免訴の願書を差し出し,高清水に向かい,永井村より起こった一揆と合流し,後邑主らに説得されて解散。
○前年大不作のため帰農のの士らは困窮特に甚だしく餓死者多数。○一月二十六日米谷の農民百人,狼河原に行き,同地の三百人と合流し米谷に押し入る。役人の説得により解散。○冷害で大凶作。
1870(明治三)年物価高騰。人々は沼川の河骨(かとう)やわらびの根を掘り,松皮餅を食用とする。○十一月東磐井郡で百姓一揆。○十二月栗原郡宮沢村で百姓一揆。○春より気候不順。七月二十四日大洪水。以後長雨。

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朝の色 12/8今朝雪が降る中で

特に,
「1869(明治二)年一月十八日新田村から百姓一揆が起こり,佐沼付近十か村の農民が四日間南方大嶽山にこもる。一揆勢は仙台藩士大町蔵人,邑主亘理氏に免訴の願書を差し出し,高清水に向かい,永井村より起こった一揆と合流し,後邑主らに説得されて解散。」
の内容について確かめていきたいと思っています。


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