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雪降った朝-封印された時間-百姓一揆覚書き6-

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雪降った朝

渴命書の本文です。今日はその2回目となります。
まずは1回目の意訳案からです。
一、 三ヵ年以前より御年貢下ケ札不被相渡明細帳も不被相渡何ヲ見當ニ上納可相成哉小昧ニ而不分ニ在之此段御手入御吟味被成下度奉願上候①
一、 去年大不作大水損ニ相成候處余郡ハ御買米壹圓無之當郡斗御割付上納相成候間此段も御吟味被成下度奉願上候事②
一、 高壹〆文ニ付代拾八文位ニ諸償相懸り連々難渋仕候間此段も申上候事
一、 肝入衆寄合之節御郡宿ニて酒肴ハ不及申麦蕎麦等過分諸入料かかり候間此段も申上候事④
一、 去年より秋迄三ケ度調達金御割付ニ罷成上納仕候處彌御趣意ニ可有之候哉此段も奉伺上候事⑤
意訳案
①三年前から年貢札やその明細帳も渡されず何を根拠に年貢が決められているかも分からない状況です。このことについて手入れか吟味していただきたいと思います。
②去年は大不作大水害に見舞われ,他の郡では買米を行わなかったのに当郡はまた割り付け,上納を迫られています。このことについても実情に合った処断をお願いいたします。
③壹〆文に付き代金が拾八文位とはあまりに安すぎます。これは大変難渋し困っております。このことについても善処していただくようお願い申し上げます。
④肝入衆などが寄合の折に贅沢な酒肴を取寄せ,麦蕎麦等も過分に取り立てている件もあります。このことについても申し上げます。
困窮を極めていた百姓達が実情も顧みず訳の分からない政治を続けている役人や肝入り衆等の贅沢三昧にさすがに訴えなくては収まらない現実が見えてきます。
では,次の行(くだり)です。

一、 去年より秋迄三ケ度調達金御割付ニ罷成上納仕候處彌御趣意ニ可有之候哉此段も奉伺上候事⑤
一、 御軍事方と名付御割付罷成候て是も上納仕候處右同断⑥
一、 米味噌大根菜漬等迄御割付罷成相済此段も申上候事⑦
一、 御盬渡之儀先年より春渡ハ七月納秋渡ハ冬納ニ罷成居申處去年より現買ニ罷成其上金札ニ而御払相成候ヘバ御百姓共味噌も造兼菜漬等大根等も漬兼居者も数人御座候先年通りニ被成下度此段も奉願上候事⑧
一、 御上様に上納之儀ハ金札を以て相納小昧ヘ被相渡分ハ代を以被相渡代ヲ金ニ直シ三メ貳百文ニ而引替御盬金上納仕候ヘバ大前に損金ニ罷成候間此段申上候事⑨


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朝の風景

この渇命書を読むと実に内容がよく吟味されて書かれていることが分かります。郡中の多くの人から情報を集め,現実をよく見て書かれています。実情にそぐわない取立を強いられたり,塩の配給が滞ったり,米がなかったら野菜まで取り立てて,漬け物を漬けるのもままにならない現実です。不公平がはびこり,儲ける者だけが儲けて安穏と暮らしている世の中が藩の崩壊とともに百姓達に重くのし掛かっていました。
年表でもう一回当時の様子を見てみましょう。

1865(慶応元)年佐沼地方は水害,冷害,旱魃等の天災つづき,大凶作となる。夏綿入れを着る。○6月3日より百姓一揆起こり,一万六千人ほど高清水,力石に来たがなだめられ退散。○12月23日封内五十九万石余の水旱害の損害を幕府に報告。
1866(慶応二)年七月。栗原郡若柳町元町および一迫・ニ迫・三迫の農民,凶作と重税に苦しみ,百姓一揆を起こす。
1867(慶応三)年佐沼地方旱魃のち水害。
1868(慶応四,明治元)年六月洪水。○十二月四日米川狼河原で百姓一揆。○十月二十日西磐井で百姓一揆。○旱魃で大不作。
1869(明治二)年一月十八日新田村から百姓一揆が起こる。○永井村より百姓一揆起こる。
○餓死者多数。○一月二十六日米谷の農民百人,狼河原に行き,同地の三百人と合流し米谷に押し入る。○冷害で大凶作。
1870(明治三)年物価高騰。人々は沼川の河骨(かとう)やわらびの根を掘り,松皮餅を食用とする。○十一月東磐井郡で百姓一揆。○十二月栗原郡宮沢村で百姓一揆。

もう至る所から一揆が起きて,抑えようがない状況です。
仙台藩お目付役渋川助太夫の日記「日新録」で当時を見ても,一揆への対応だけで手一杯です。それに混乱の世ですから脱藩者や他藩からの逃亡者が出没しては悪さをすることもありました。

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月沈む

頻発する百姓一揆の中でもこの明治二年一月の時行神社から始まった一揆は,打ち壊し,襲撃,強奪一切なく解散した一揆として民主主義の先鞭となる価値あるものと考えます。



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