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宮沢賢治「春と修羅」追読

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今日は宮沢賢治の言う科学的な記述って何かを考えたいと思います。

29歳の賢治は「六七年前から歴史やその論料、われわれの感ずるそのほかの空間といふようなことについてどうもおかしな感じやうがしてたまりませんでした」と手紙に書き,「歴史や宗教の位置を全く変換しようと」試み,その準備段階として「或る心理学的な仕事の仕度」として「厳密に事実のとほりに記録したもの」を公表しました。それが心象スケッチ『春と修羅』でした。しかし賢治の意図のように『春と修羅』は伝わりませんでした。賢治はそのことが相当悔しかったようです。到底詩と言われるようなものではありませんと謙遜しますが,好意的に書いてくれる人はわずかでした。彼の自負は「科学的に」書いたのだ。普通の詩とは違うのだと考えていた処にあるようです。
では,宮沢賢治の言う科学的な記述とは何のことを言うのでしょうか。
まず,序にあるように「たゞたしかに記録されたこれらのけしきは/記録されたそのとほりのこのけしきで」というだけでは科学的ではありません。彼の視点は自分と外界との交通性に立っています。つまり自分と対象との間で反応し合う場を表現しようというわけです。光と影と私の化学反応を正確に記録した自然現象と私との間のコラボレーションの正確な記述が科学的という立場から表現しているようです。
わたくしといふ現象は
  仮定された有機交流電燈の
  ひとつの青い照明です
  (あらゆる透明な幽霊の複合体)
  風景やみんなといつしよに
  せはしくせはしく明滅しながら
  いかにもたしかにともりつづける
  因果交流電燈の
  ひとつの青い照明です
  (ひかりはたもち、その電燈は失はれ)
私というものは(実際彼の春と修羅の中に出て来た言葉で一番多いのは「わたし」という言葉です)外界のひかりや風景に反応して点いたり消えたりする有機(生きている)電灯のようなものだと言います。そして私たち電灯は因果関係という思考機械を通して処理されていくのです。
これはまるでジャズの即興演奏(インプロビゼーション)そのものです。こうした賢治の外界に反応することで主体が成り立っていく不定性,外界も一瞬たりとも同じ風景ではないという不定性。それらのはっきりしない者同士が相互の関係の中で反応し合いながら自分を形づくっていくのです。これが(mental sketch modified)春と修羅の「modified(モディファイド,形づくる)」ということです。私が賢治のこのスタンスを理解するのにイメージ的にはマルクスの『資本論』の第一章「価値形態論」の枠に似ていると感じています。賢治の時代はこうした「自己と他者」「自然と人間」という二分法が洗い直され,再構築される時代だったのではないでしょうか。マルクスやフロイト,そして文学ではシュールレアリスムと賢治と同じ世代なのです。賢治は自分の認識論の洗い直しを『春と修羅(mental sketch modified)』で行い,結果的に「歴史や宗教の位置を全く変換しようと」試みたのではないでしょうか。東北の片田舎でこれだけの巨大な挑戦を行ったことは素晴らしいことです。

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ただ対象との反応によって形づくられる私的な記録が本当に「科学的」なのでしょうか。
暑い寒い,眩しい暗い,風が強い弱いが科学的な表現なのでしょうか。例えば賢治はよく幻視幻聴にも襲われたと言いますがそのような想念も記録しているはずです。森荘已池に詩を送る時に「幻聴のないものを選びました」と言います。つまり幽霊のようなものが入ったのでは親しめないので日常的で,分かりやすいものを送っているわけです。これが科学的とは言えないと思います。賢治が言う「科学的」とは不安定な存在としての自分が外界から感じ取っているものをタイムラインで正確に記述するようにしたという正確性ではないでしょうか。そして春と修羅で行ったこと自体が実験だと思います。感覚反応記録実験と言ってもいいでしょう。

この話はつづきます

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