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春と修羅追読2

始業式の日に-2gs
「冬よさようなら」
気合い入れて撮ったのですが失敗しました。三脚が動いたのでしょう。
この日4/9は三日月が沈もうとしているすぐ傍に火星,オリオンを真ん中に据えてISSが弧を描くという絶好の機会でした。仕方がないです。また挑戦します。


さて宮沢賢治の「春と修羅」追読の2回目です。
「春と修羅」が世に出たのは大正十三(1924)年4月20日の事でした。賢治28歳の時でした。妹のトシが亡くなって一年半が過ぎていました。「春と修羅」の詩群は1922年1月6日から1923年12月10日までの69編の詩を集めたものです。
一回目の話では,賢治の繰り返す「科学的に記述した」とはどんなことかを取り上げました。
そして賢治が言う「科学的」とは自分が外界から感じ取っている感覚や湧き上がるイメージ,自己との対話,果ては幻聴や幻視までをタイムラインに正確に記述するようにしたという意味ではないか。その記述も厳格で正確に行ったという意味に取れます。大正十四(1925)年12月20日。岩波茂雄に宛てた手紙にこの詩作の方向性が読み取れます。
・・・それぞれの心もちをそのとほり科学的に記載しておきました。

・・・厳密に事実のとほりに記録したものを何だかいままでのつぎはぎしたものと混ぜられたのは不満でした。
とあるように「厳密に事実のとほりに記録した」ことが「春と修羅」の一番の売りだったのです。賢治にとって,今までの平凡な詩はまるでむらのある情緒を誇張して言葉に置き換えていき,さらに無秩序につなぎ合わせている点で二重の罪を犯している煽情的なものに感じられていたのでしょうか。ですからそれらの罪深い情緒的な詩ではない,新しい時代を劃する詩を狙ったところに出版の意図があったと思われます。その手法が「厳密に事実のとほりに記録したもの」ということです。これは「感覚反応記録実験」と言ってもいいですが,壮大な一つの実験としてとらえられるべきでしょう。自然という外界と賢治という名前の人間が互いに交流しあう,刺激し合う認識の記録が「春と修羅」に記録されているということなのです。まさにその点でも実験性を帯びた点で「科学的」と言えるかもしれません。
まとめます。「春と修羅」で展開された「科学的」とは何なのか。
・自然という外界から感じ取ったことを厳密に事実のとほりに記録したものだから「科学的」
・「春と修羅」で展開された言葉や順序はすべて実験として捉えられるという点で「科学的」

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春を待つ夜の雑木林

更にここで「科学的」な見地として自然を読み解いている例を紹介します。板谷栄城が「賢治小景」の中の「ドップラー効果」で紹介しています。「小岩井農場」のパート3の鳥の声についての記述です。
のぼせるくらゐだこの鳥の声
(その音がぼつとひくくなる
うしろになつてしまつたのだ
あるひはちゆういのりずむのため
両方ともだ とりのこゑ)
この中の「(その音がぼつとひくくなる/うしろになつてしまつたのだ」という箇所は鳥が前から鳴きながら飛んできて頭上を過ぎて後ろに遠ざかるにつれて鳥の鳴き声が「ぼつと低くなる」 というドップラー効果を示していると解説しています。近づいて来る音は高音になり,逆に遠ざかっていく音は低音になるというドップラー効果です。
このように賢治は科学的な見地から自然を巧みに描写していたのではないか。その描写の視点も「科学的」ではないかと解釈できるのではないでしょうか。

ですからまとめの三つ目として
・自然の中で繰り広げられる現象の科学性や法則性を現象のまま記録しているのではないかという点で「科学的」

いずれにせよ,賢治は一人の感覚をもった人間として自らが実験台になり認識の壮大な実験を行った。そしてそれが「春と修羅」に厳密な事実のとほりの記録として綴られている。このことを知って読むと「春と修羅」の魅力がまた出てくると思います。


こう書いてみて私に浮かんだのは文学のシュールレアリスムの「自働記述法」という方法論です。全く同時代にフランスと日本で,こうした新しい認識論へのアプローチが進んでいたという奇妙な一致に驚かざるを得ません。



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