FC2ブログ

賢治と桜

DSC_3171-2gss.jpg
桜を追いかけて 岩手 為内の桜

賢治が桜について言ったことで私が思い出せるのは残念ながらあまりのいいことではありません。
満開の桜を見て賢治は「蛙の卵」みたいだと評したそうです。
うろ憶えのことですが,桜が満開の日詰の駅に列車が止まった時に同僚が桜がきれいだと言ったことに対して賢治は嫌悪感を顔に滲ませて「蛙の卵みたいだ」と言ったというエピソードです。私はどうしてか賢治が桜全体に嫌悪感を抱いていたのではなく,ソメイヨシノの花の付き方に気味悪さを感じ,その他の山桜やオオシマザクラなどに軍配を挙げようとして言った言葉と解しています。今でもそう思っているのですが賢治は桜をどれくらい取り上げているのでしょうか。
そこで彼の全詩をキーワード「桜」で検索してみると,33件ヒットありました。その中に「蛙の卵みたいだ」と言った部分が詩としても『春と修羅』第二集 ・「七八 〔向ふも春のお勤めなので〕」「 桜の花が日に照ると/どこか蛙の卵のようだ」と「春」と題された詩に出てきました。それ以外は桜について否定的な言葉はありませんでした。一方私が勝手に解したように,賢治もソメイヨシノと山桜,エドヒガンザクラなどを区別して表現していたか調べてみました。「ソメイヨシノ」「山桜」「江戸彼岸桜」と入力しましたが結果はゼロでした。賢治は詩作の上では桜を種類別に記述してはいなかったようです。

そんな折何気なく賢治全集の月報に「樺の二面性-桜と白樺のアンビバレンス-」というエッセイを見つけました。大塚常樹氏が書いたものです。すると「樺」と書いて白樺も意味するし,桜も意味している事実に驚きました。野生種の山桜を「樺桜」とも言い,特に「岩手県稗貫郡では「樺」と言うと「山桜」を意味している」と言うのです。

そこでまた全詩検索で「樺」を入れてみました。すると「桜」と同じくらいの34件ヒットしました。この内容を見るとほとんどが「白樺」で,「樺」単独で使っている例は『春と修羅』第一集では
「白い鳥」L06 鮮かな青い樺の木のしたに,
「栗鼠と色鉛筆」L01 樺の向ふで日はけむる,
「滝沢野」L08 四角な若い樺の木で,
「樺太鉄道」L59 ここらの樺ややなぎは暗くなる,
「樺太鉄道」L25 (こゝいらの樺の木は「樺太鉄道」L22 (樺の微動のうつくしさ)
口語詩編では「〔もう二三べん〕」L73 杉の木はゆれ樺の赤葉はばらばら落ちる
「〔もう二三べん〕」L56 樺はばらばらと黄の葉を飛ばし
他にも補遺詩篇二 ・「〔梢あちこち繁くして〕」L06 この丘なみの樺の木の/「〔雲影滑れる山のこなた〕」L02 樺の林のなかにして/「〔樺と楢との林のなかに〕」L01 樺と楢との林のなかに
と10例出てきます。内容的にも「樺」は白樺やダケカンバのことを指しているように思えてきます。

ところが樺の木が出てくる童話「土神ときつね」の樺の木の描写を読むとこう書いてあります。

 一本木の野原の、北のはずれに、少し小高く盛もりあがった所がありました。いのころぐさがいっぱいに生え、そのまん中には一本の奇麗きれいな女の樺かばの木がありました。
 それはそんなに大きくはありませんでしたが幹はてかてか黒く光り、枝えだは美しく伸のびて、五月には白い花を雲のようにつけ、秋は黄金きんや紅あかやいろいろの葉を降らせました

幹はてかてか黒く光り、枝えだは美しく伸びて、五月には白い花を雲のようにつけ秋は黄金きんや紅あかやいろいろの葉を降らせました」と読むと白樺ではないようです。どうも山桜のように感じます。

黒く光る幹はまさに山桜ですし,白い花を雲のようにつけるというのも山桜のような雰囲気です。そして秋に色とりどりに紅葉,落葉するのも山桜の特徴の一つです。私には,どうもエドヒガンザクラを連想させます。それが丘の上に一本です。まさに小岩井農場の一本桜も連想させます。桜を評して「蛙の卵」と言う賢治は,山桜を美しいと書いています。やっぱり賢治は蛙の卵のソメイヨシノと美しい女のような山桜を書き分けていたのではないかと思います。どうでしょう。


にほんブログ村 写真ブログ ネイチャーフォトへ
にほんブログ村
関連記事