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新・遠野物語-辻の記憶-

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長い門口

あがったり下りたりする村の細々とした道を歩いていると,少し見晴らしの利くような辻に出る。
大抵そこには古びた石仏や苔むした道祖神が藪や木の下に隠れるようにある。こうした人の気配が感じられる所が妙にまた旅人を安心させるのである。時折この辻に村人も知らぬ細い竹が挿してありその先に布など結びつけていると何の印なのかと村人が気味悪がって噂することもあった。サンカの通った印なのだと言う者もいた。
しかし寂しい在所ざいしょの村はずれ、川端かわばた、森や古塚の近くなどには、今でも「良くない処ところだ」というところがおりおりあって、その中には悪い狐がいるという噂うわさをするものも少なくはない。
と,柳田國男は「山の人生」で言う。それもまた昔は確かなことのように思われた。子どももいなくなるようなこともあった。神隠しにあったのだと皆で噂して大声を出して神様から幼子を奪還しようと村人は提灯を掲げたりした。ある時のことだった。毎日一緒に遊んでいた私の友だちもいなくなったことがあった。果たしてその友だちは昔に人が住んでいてもうすっかり藪に囲まれていた井戸に落ちていて消防団に助けられた。月の高い夜のことだった。

昔の百姓家には長い門口があり屋敷自体が道から見えないようになっていた。長い雑木林の曲がりくねった門口の道を進むと俄に太いケヤキの木などがそびえ,鳥や牛馬や飼っている匂いがしてくる。「申し。申し。」と家の奥に声をかけても,家はしんとしている。遠い田や畠に出掛けているのである。軒先には来訪したことを伝えるかのようにキュウリや瓜などが手土産として置かれている。

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夕暮れに輝く村の墓場

「お墓には一人では行くもんでねえ。あの世から帰れなくなるぞ。」と子どもの頃によく言われた。度胸試しで墓場に友だちと行ったりしたが,私の祖母が病気になった。そんな折にお百度参りということを知り,墓の真ん中に建つお堂に通い,祖母の病気恢復を願ったりした。私はそんな所のある子どもだった。現実の生活の端の方に,いや現実の周辺にはなにやら地続きのようにあの世も伝説も魂の世界もあったように思う。だから麦の伸びる頃に麦畑からひょっこりと天狗や死んだ者が顔を出してもおかしくも怖くもなかった。

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墓の守り神

村の石碑調査をして消えそうなそま道を歩きながら私は新・遠野物語の風景を探している。現実を歩きながら陽炎のように立ち昇る朝方の夢のような遠い村人の記憶がはっきりと見える。このテーマこそが時間が押しつぶした村の記憶を呼び戻す方法なのだと写真を撮っている。


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