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土偶の不思議

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花巻博物館で見た土偶

7月に大湯ストーンサークルに行って「どばんくん」に会った。
それ以来土偶や縄文時代におもしろみを感じるようになった。先日読んだ本によると土偶はほとんどが女性で,そしてほとんどが壊された状態で発掘されていると書かれてあった。壊されるために創られているものだったらしい。そして壊されることでそこから生み出される豊饒さを約束される道具であったと言うのである。神話の中には殺されることでそこから生み出される恩恵によって豊饒さが安定するという話がある。保食神(うけもちの神)の話がある。
天照大神は月夜見尊に、葦原中国にいる保食神という神を見てくるよう命じた。月夜見尊が保食神の所へ行くと、保食神は、陸を向いて口から米飯を吐き出し、海を向いて口から魚を吐き出し、山を向いて口から獣を吐き出し、それらで月夜見尊をもてなした。月夜見尊は「吐き出したものを食べさせるとは汚らわしい」と怒り、保食神を斬ってしまった。それを聞いた天照大神は怒り、もう月夜見尊とは会いたくないと言った。それで太陽と月は昼と夜とに別れて出るようになったのである。
天照大神が保食神の所に天熊人(アメノクマヒト)を遣すと、保食神は死んでいた。保食神の屍体の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれた。天熊人がこれらを全て持ち帰ると、天照大神は喜び、民が生きてゆくために必要な食物だとしてこれらを田畑の種とした。(by Wiki)
こういう食物起源の話を「ハイヌウェレ型神話というらしく,殺された神の死体から作物が生まれたとする話のパターンです。作られた土偶もこうした流れによって壊されることで神に祈りを捧げるという意味かもしれません。しかしすべての土偶が壊されるために作られていたというわけではないようです。

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さて縄文時代の祭りはストーンサークルと同様に太陽の動きにしたがって行なわれていたようです。春分,夏至,秋分,冬至。こうした区切りに合わせて祭りは行なわれ,火を焚き土偶や土器を焼いていたでしょう。そして儀式や会食が行なわれていたと思います。祭りは日の出の頃でしょうか,日没の頃だったでしょうか。日没の頃ならば炎が立ち,その中に土器や土偶が浮かび上がっている様子はきれいだったと思います。



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