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宮沢賢治「おきなぐさ」を聞く

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新・遠野物語「お薬師さんのある部落」

16日の敬老の日にお月見をしようと朗読会と座談会「賢治をめぐって」というイベントに出掛けた。
賢治をめぐって
ポスターがまた凝ってますね。ナイスです。

朗読者は仙台放送のスポーツ番組「スポルタン」で有名な松浦貴広さんでした。
松浦さんが朗読に選んだ賢治の作品が「雨ニモマケズ」「おきなぐさ」「よだかの星」の三編でした。声がよく通り滑舌の利いたうまい朗読でした。
で,第二部は参加者それぞれが「自分の賢治との出会い」を話しました。みんなの話を聞いているうちに月齢17の月の立待月がするすると昇ってきました。あとは外でだんごを食べて終わりました。
お互いに賢治への思いがよく分かり,みんな友だちになったような気持ちになりました。こういう時間が取れたことは貴重でした。企画された石越郷土史研究会と千田さんに感謝します。

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MOTHER TREEに光差す

さて「おきなぐさ」を朗読会で聞くことは珍しいし,また聞いてみれば結構印象に残る作品でした。そこで「おきなぐさ」という作品を家に帰り,また読み直してみました。賢治の作品を聞いているといつの間にか迷路にはまり込んだように,言葉が飛び散って一しきりの物語を見失うことが自分にはよくあります。イメージが残像としてあるのに意味の遠近感がなくなる独特の浮遊感と閉塞感に捕らわれるのです。これは字面を読んでいる時にも確かにあるのですが,聞く中ではとても顕著に表れるものだと感じました。意味を追う回路が途切れて一言一言の言葉だけが隣同士かろうじてつながっている音だけの世界にはまり込む感じを「浮遊感と閉塞感」という言葉に当てはめてみました。

「うずのしゅげを知っていますか。」で始まる「おきなぐさ」ですが,おきなぐさがそのまま「うずのしゅげ」と言われています。賢治が語り掛けるようにおきなぐさの魅力が訥々と語られていきます。
毛茛科(もうこんか)のおきなぐさの黒朱子(くろじゅす)の花びら、青じろいやはり銀びろうどの刻みのある葉は、それから六月のつやつや光る冠毛(かんもう)がみなはっきりと眼にうかびます。
 まっ赤なアネモネの花の従兄いとこ、きみかげそうやかたくりの花のともだち、このうずのしゅげの花をきらいなものはありません。
これを聞いて具体的にイメージすることはとても難しいですね。読んで初めて理解できます。
そこで難しいと賢治も思ったのか物語は掛け合いに移りました。場所は「小岩井農場の南、あのゆるやかな七つ森のいちばん西のはずれの西がわ」です。そして「かれ草の中に二本のうずのしゅげが、もうその黒いやわらかな花をつけている」花のモノローグで進みます。そのモノローグは日の光が雲で翳ったり,また景色が輝き出すこの世界のおもしろさを語り続けます。
「ねえ、雲がまたお日さんにかかるよ。そら向むこうの畑はたけがもう陰かげになった」
「走って来る、早いねえ、もうから松も暗くなった。もう越こえた」
「来た、来た。おおくらい。急きゅうにあたりが青くしんとなった」
「うん、だけどもう雲が半分お日さんの下をくぐってしまったよ。すぐ明るくなるんだよ」
「もう出る。そら、ああ明るくなった」
なぜ賢治はこの光と影の描写を様々な作品で繰り返すのでしょうか。執着とも言える程です。例えば「チューリップの幻術」でも絶え間なく続きます。どうやらこれらの光と影への描写のしつこさは賢治が「風景を見ているときに何に反応しながら見ているのか,観察によって風景(対象)を的確に描写する技術がどう関わり合っているのか」を主題にしている節があるからでしょう。賢治は,風景を知識ではなく「生のそれ自体」として描こうとする構えがあります。これを直接的な純粋経験という形容もあるでしょうが・・・。
「花の盃の中からぎらぎら光ってすきとおる蒸気が丁度水へ砂糖を溶したときのようにユラユラユラユラ空へ昇って行く」のです。この白いチュウリップの花の杯から光が湧いて,どんどん湧きあがって,ひろがり,青空も光の波でいっぱいになるのです。            「チューリップの幻術」から
これは陽炎の蒸発する大気現象を描写したものです。それを「水へ砂糖を溶したときのようにユラユラユラユラ空へ昇って行く」と形容しています。見えている現象を科学的な現象に近づけて表現しようとします。また表現したことを保証するために科学的現象に言い換えていきます。以前に板谷英城氏が指摘しましたが「小岩井農場」パート3の中で鳥が頭上を通過するときにドップラー効果を使ったりします。

のぼせるくらゐだこの鳥の声
(その音がぼつとひくくなる
うしろになつてしまつたのだ
あるひはちゆういのりずむのため
両方ともだ とりのこゑ)

この中の「(その音がぼつとひくくなる/うしろになつてしまつたのだ」という箇所は鳥が前から鳴きながら飛んできて頭上を過ぎて後ろに遠ざかるにつれて鳥の鳴き声が「ぼつと低くなる」 というドップラー効果を示していると解説しています。近づいて来る音は高音になり,逆に遠ざかっていく音は低音になるというドップラー効果です。描写した後その描写を保証するための科学性への接近。これが賢治のユニークな表現を特徴付けている点と言えるのではないでしょうか。この賢治の基本姿勢で「春と修羅」を表現したとすると,ものの形状や色はより正確で科学的な用語を使うことになると思います。

   心象のはいいろはがねから
   あけびのつるはくもにからまり
   のばらのやぶや腐植の湿地
   いちめんのいちめんの諂曲(てんごく)模様
   (正午の管楽(くわんがく)よりもしげく
    琥珀のかけらがそそぐとき)
   いかりのにがさまた青さ
   四月の気層のひかりの底を
   唾(つばき)し はぎしりゆききする
   おれはひとりの修羅なのだ

私がつけた下線部はどちらかと言うと,より科学的な保証を背景として取り上げられた「ことば」と思えてしまいます。賢治独特の言葉の取り上げ方でしょう。この賢治独特の言葉の取り上げ方から生まれる詩がある面で新しく,ある面では難解で,またディレッタンティスムに見えたりするのではないでしょうか。

こんなことを考えながら賢治作品を読み聞かせする難しさをしみじみ感じた時間となりました。やっぱり賢治作品は読む人が自分のペースで字面を丹念に辿りながら味読するのがいいですね。


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