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新・遠野物語-渡し場-

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渡し場-大舟渡(おおふなど)-

長沼のここは「大舟渡(おおふなど)」と江戸時代より言われてきた。舟を降り,坂を上がると「入(いり)」という地名,そしてすぐ薬師堂のある「堂田(どうでん)」になる。薬師堂の莊田があるからだ。地名をこう考えると仏も神も人も水際から上がってきたということになる。
水は大切。しかし大雨,洪水,川の氾濫と,育ってきた稲が全滅させられたのも水。旱害になれば命を懸けて雨乞いもした。まるで手を付けられない暴れん坊のようだ。そうして治水の歴史が始まる。

しかし,そんな水を渡る舟は道のない地形では実に効果的な交通手段だった。何せ重いものも簡単に運ぶことができた。
由緒ある薬師堂は今はない。明治三十七年に乞食が泊った折に火の不始末で御堂は全焼したという。本尊も脇侍もすべて焼けてなくなった。再興する機会もなかった。薬師堂は町から離れたとても辺鄙な場所にあった。そこに何千人もお参りしたという記録がある。どうやってお参りに来たのか。簡単だ。舟に乗ってお参りに来たのだ。祭日は四月八日,春先のどこか暖かいぬくもりのある花祭りの日に人々は春が来た喜びの笑みを浮かべて,なめるような穏やかな水面を舟に乗って進んで来た。湖面には渡しの十八番の歌も風に乗って流れただろう。対岸には賑やかなお祭りの旗が見えていた。


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