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銀河鉄道の夜-届いていた通信-

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10/20「銀河鉄道の夜」朗読

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「銀河鉄道の夜」朗読

10/20 16:30~20:30宮沢賢治「銀河鉄道の夜」を読む会が行われ,行ってきました。この頃注目の『宮澤賢治 愛のうた』の著者澤口たまみさんの話が聞けるということで楽しみにしていました。『宮澤賢治 愛のうた』で澤口さんは大正11~13年の賢治には相思相愛の恋人がいたこと,そしてその恋愛が「春と修羅」や当時の作品に密かに,しかし確かに表現されていることに着目します。その新しい切り口は凝り固まった賢治解釈の中に五月の春の風を思わせるような新鮮な息吹を吹き込んだように思います。

さて「銀河鉄道の夜」はさすがに朗読すると長く,休憩以外の時間は予想通りすべて朗読にあてられることになりました。もう少し澤口さんの「銀河鉄道の夜」の中に見られる賢治の恋愛についての読み解きを聞いてみたいと思いました。今後の澤口さんの読み解きに期待したいと思います。当然のことですが会場の皆さんとの意見交流の場も殆どなくなり,互いに今後の宿題として次回の第3回に期待することとなりました。

深山牧場 053s
純粋な心。ひたむきさ。願いの美しさ。透明さへの希求。

私自身「銀河鉄道の夜」を読んでいて,理解できなくて何回もひっかかる箇所が特に第一次原稿の中にあります。まず一つ目は黒い大きな帽子をかぶった大人の人の存在です。二つ目はブロニカ博士とのやりとりの削除です。
まず,カンパネルラが汽車から突然いなくなった後の文章です。最終稿では削除されていますが大変気になります。

そしてそこには「黒い大きな帽子をかぶった青白い顔の瘠せた大人がやさしくわらって大きな一冊の本を持ってい」た場面です。この部分は初期形から残っていましたが最終形では削除されています。不思議なのはこの黒い大きな帽子をかぶった青白い顔の瘠せた大人が語り聞かせる内容です。その部分を引用してみます。
けれども、ね、ちょっとこの本をごらん、いいかい、これは地理と歴史の辞典だよ。この本のこの頁はね、紀元前二千二百年の地理と歴史が書いてある。よくごらん紀元前二千二百年のことでないよ、紀元前二千二百年のころにみんなが考へてゐた地理と歴史といふものが書いてある。だからこの頁一つが一冊の地歴の本にあたるんだ。いゝかい、そしてこの中に書いてあることは紀元前二千二百年ころにはたいてい本統だ。さがすと証拠もぞくぞく出てゐる。けれどもそれが少しどうかなと斯う考へだしてごらん、そら、それは次の頁だよ。紀元前一千年だいぶ、地理も歴史も変ってるだらう。このときは斯うなのだ。変な顔をしてはいけない。ぼくたちはぼくたちのからだだって考だって天の川だって汽車だってたゝさう感じてゐるのなんだから
この文章は何を言っているのでしょう。分けて考えてみます。
①この頁はね、紀元前二千二百年の地理と歴史が書いてある。
②よくごらん紀元前二千二百年のことでないよ、
③紀元前二千二百年のころにみんなが考へてゐた地理と歴史といふものが書いてある。
これはひと頃よく言われたトマス・クーンのパラダイムのことを言っているようです。普通に歴史や地理の理論はその時代その時代の考え方を土台として書かれている。一つの概念が真理として何千年も続くことはない,考え方は時代時代の枠(パラダイム)で変わるものだ。だから永遠の理論はない。歴史はある法則で繰り返すように見えたりするが,実は一回性のものであってその時その時で断絶している。つまりこの世で繰り広げられる出来事は脈絡のない夢のように明かりが点いては見えて,明かりが消えてはなくなっていく。それぞれが独立していて互いに関連性はないということです。このように考えると次の文章が分かりやすくなります。
そのひとは指を一本あげてしづかにそれをおろしました。するとジョバンニは自分といふものがじぶんの考といへものが、汽車やその学者や天の川やみんないっしょにぽかっと光ってしぃんとなくなってぽかっとともってまたなくなってそしてその一つがぽかっとともるとあらゆる広い世界ががらんとひらけあらゆる歴史がそなわりすっと消えるともうがらんとしたたゞもうそれっきりになってしまふのを見ました。だんだんそれが早くなってまもなくすっかりもとのとほりになりました。
まとめると次のように言えるでしょう。
この世で起きることはすべてが関連性もなくばらばらで仮の姿として見えてくる。これが生々流転の意味ではないでしょうか。この世の現実にあまりに固執しすぎては迷いを生じ,三毒の泉に溺れることになる。三毒とは貪=むさぼり(欲深く物をほしがる、際限なくほしがる)、 瞋=怒り(自己中心的な心で、怒ること、腹を立てること)、癡=迷妄(物事の道理に暗く実体のないものを真実のように思いこむこと)です。賢治はこうした考え方で辛い現実をなんとか収めようと格闘していたのだと思います。


随分長くなりました。今日はまずこの辺で終わりにします。続きはまた書きます。

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コメント

Re: 先日は、ありがとうございました

菅原さんコメントありがとうございました。
いろいろお疲れ様でした。澤口さんとお話しできる機会を設けていただき,とてもいい時間となりました。ありがとうございました。今後何かイベントや会があったらまた教えて下さい。もっと大人子ども関係なく賢治を通して自分の思いなどを人に伝えられる環境ができたらいいですね。活動がんばって下さい。何か私でもご協力できることがあったらまたお声がけ下さい。ありがとうございました。

先日は、ありがとうございました

こんにちは。
先日は、岩ヶ崎までいらしていただきありがとうございました。
第一夜は、約30名の参加者でしたが 様々な行事などが重なり、第二夜の参加者が少ないことは、予想できたのですが、、、。
昨年の11月に『宮澤賢治 愛のうた』百年の謎解きを開催した後、
かいめんこやさんの風之介さんのリクエストで次回は、銀河鉄道の夜をテーマに開催という流れでした。
今になって思えば もう少し企画を練るべきだったかなと反省しています。
もう少し皆さんの声を拾うには、時間的に厳しいことは、予想できました。
さて、消えてしまったブルカニロ博士のことは、私も気になっているところでした。

黒い大きい帽子をかぶった青白い顔の痩せた大人は、ブルカニロ博士の分身?なのかもしれませんが、なぜこう変化していくのか?
書いた時期の賢治さんの状況などを含めて時系列で重ねてみたりしてもよいのかなぁ?と思ったりしています。
欠けている原稿の後に『ところがいくら見てゐても、そこは博士の云ったような、がらんとした冷たいとこだとは思はれませんでした』
なので。第4次稿で冒頭に先生が話していた内容とにていやしないのかだろうか?と思ったり、、、。
とにかく、どんどんこんがらがってしまう私の現状です。

ただ、私は、銀河鉄道の夜の物語の中にある思想は、法華経が底辺にあると感じています。

賢治さんの作品は、本当に読めば読んだだけいくつもの発見がありますね。
こんがらがって、投げ出したくなることもありますが、でもやはり捨てがたい魅力があるのだと思います。

文章力がなく、語彙も貧相で うまく説明も出来ずです。

またお会いでき賢治さんのお話ができる日を楽しみにしています。
本当にありがとうございました
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