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朝のスケッチ-祝福の光-

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朝の野菜畑

光の美しさは境界時だということはみんな知っている。
光と影とが複雑に交錯する早朝や夕方,境界の時間帯ということで境界時だ。
好みにも依るかも知れないが,私は早朝の光ほど世界のすべてのものの立ち上がりがバランス良く現われてくる時間帯は他にないと思っている。一瞬一瞬の光が順番にスポットライトを当てて,見えなかったものを浮かび上がらせていくのだ。照り返る雲の先端とか細い輪郭に,静まり返った水面に,葉の色の濃淡に,朝靄に,深い木々の影に・・・。まるで順番に名前が読み上げられるように。その光はまるで幸福とは関係がないように見える。枯れた花にさえ呼びかけられるように光は当たる。
それはただ公平なだけである。

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長沼 今朝

公平さとは何だろう。
遍在するものを等質で見るということだろうか。
それにしては世界は変転が速すぎる。

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並び立つ岬

「死ぬときの眼をじっと見たことがあるか」と暗殺者は聞く。
「死ぬときには眼がうつろになっていく。そして魂が瞳の底へ底へと入っていく。そして魂は小さく小さくなり,やがて見えなくなる。」
「それは魂がなくなってしまうと言うことか」と私は聞く。

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朝靄湧く

体の奥底に小さい蛇がいると説く中世の密教説話がある。
何のために・・・。

道教では人の体に上尸(じょうし)・中尸(ちゅうし)・下尸(げし)の3種類の虫がいるという。人間が生れ落ちるときから体内にいるとされる。『太上三尸中経』の中では大きさはどれも2寸ばかりで、小児もしくは馬に似た形をしているとあるが、3種ともそれぞれ別の姿や特徴をしているとする文献も多い。病気を起こしたり、庚申の日に体を抜け出して寿命を縮めさせたりする理由は、宿っている人間が死亡すると自由になれるからである。葛洪の記した道教の書『抱朴子』(4世紀頃)には、三尸は鬼神のたぐいで形はないが宿っている人間が死ねば三尸たちは自由に動くことができ又まつられたりする事も可能になるので常に人間の早死にを望んでいる



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