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観察力

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12/9今朝のライン

先日野鳥写真家の戸塚学さんが伊豆沼来て,スライドを映しながら話をした。
撮影する上で大切なことは何かという質問に「観察力だ」と答えた。
その鳥がどの方向にどう飛ぼうとするか,その鳥が何を見て,どのような判断を下すのか,この鳥の習性はこうだからこう飛ぶだろう。私たちはファインダー越しに鳥を観察して見極めてシャッターを切るわけだ。この鳥は今までの観察の経験ではこうするという観察者の経験則も加わってくる。観察者が急にカメラを振り回したらいけない。鳥はそんな急な動きにすぐ反応して逃げてしまう。自分の気配を殺す慎重さも相手を知るためには必要である。このことは特別に鳥だけに当てはまることではなく,チョウなどの昆虫や野生動物,人間にも言えることではないだろうか。
この観察力という技術の習得は,自然を相手にする者にとっては必ず身に付けたいものだろう。
例えばハクチョウは風上(かざかみ)に向かって助走を開始する。だからどの方向から風が吹いているのかを確かめたい。そして飛び立つ時の鳴き声には特徴がある。そんなことを考えて場所を決める。
今朝のマガンの群れはどの辺から動き始めるだろうか。あそこのにいる群れはいつもあの方向に飛ぶ。向こうの群れがいつも早く出る。そしてこちらの群れがその動きにシンクロ(連動)している。
そういった読みがあって撮影場所を決める。それは鳥たちとの頭脳戦といってもいいのかもしれない。そのかけひきを楽しむという面もある。

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12/9今朝のライン

実はこういった観察力を駆使して文章を書いていた作家が宮沢賢治です。早速「チューリップの幻術」を読んで見ましょう。
洋傘ようがさ直しはしばらくその花に見入ります。そしてだまってしまいます。
「ずいぶん寂かな緑の柄でしょう。風にゆらいで微かに光っているようです。いかにもその柄が風に靱っているようです。けれども実は少しも動いておりません。それにあの白い小さな花は何か不思議な合図を空に送っているようにあなたには思われませんか。」
 洋傘直しはいきなり高く叫びます。
「ああ、そうです、そうです、見えました。
 けれども何だか空のひばりの羽の動かしようが、いや鳴きようが、さっきと調子をちがえてきたではありませんか。」
「そうでしょうとも、それですから、ごらんなさい。あの花の盃の中からぎらぎら光ってすきとおる蒸気が丁度ちょうど水へ砂糖を溶とかしたときのようにユラユラユラユラ空へ昇って行くでしょう。」
「ええ、ええ、そうです。」
「そして、そら、光が湧いているでしょう。おお、湧きあがる、湧きあがる、花の盃をあふれてひろがり湧きあがりひろがりひろがりもう青ぞらも光の波で一ぱいです。山脈の雪も光の中で機嫌よく空へ笑っています。湧きます、湧きます。ふう、チュウリップの光の酒。どうです。チュウリップの光の酒。ほめて下さい。」
「ええ、このエステルは上等です。とても合成できません。」
この場面はチューリップの花から陽炎かもしれませんが,ゆらゆらと光の酒が湧き出ているように見える情景を描写している場面です。「蒸気が丁度ちょうど水へ砂糖を溶とかしたときのようにユラユラユラユラ空へ昇って行く」という賢治独得の科学的な見方も入れてあります。
こうした書き方は観察力を推し進めていった末に出てくるもので結果それがファンタジーになっても全然魅力は損なわれません。言わば観察の成果の妙を楽しむことができます。

「おきなぐさ」を読みましょう。雲間から出る日の光と雲に隠れて暗くなる,変幻自在な光の世界を楽しむことができます。
お日さまは何べんも雲にかくされて銀の鏡のように白く光ったり、またかがやいて大きな宝石のように蒼ぞらの淵にかかったりしました。
 山脈の雪はまっ白に燃え、眼の前の野原は黄いろや茶の縞になってあちこち掘り起こされた畑は鳶いろの四角くなきれをあてたように見えたりしました。
 おきなぐさはその変幻の光の奇術の中で夢よりもしずかに話しました。
「ねえ、雲がまたお日さんにかかるよ。そら向むこうの畑がもう陰になった」
「走って来る、早いねえ、もうから松も暗くなった。もう越えた」
「来た、来た。おおくらい。急にあたりが青くしんとなった」
「うん、だけどもう雲が半分お日さんの下をくぐってしまったよ。すぐ明るくなるんだよ」
「もう出る。そら、ああ明るくなった」
「だめだい。また来るよ、そら、ね、もう向むこうのポプラの木が黒くなったろう」
「うん。まるでまわり燈籠のようだねえ」
「おい、ごらん。山の雪の上でも雲のかげがすべってるよ。あすこ。そら。ここよりも動うごきようがおそいねえ」
「もうおりて来る。ああこんどは早い早い、まるで落ちて来るようだ。もうふもとまで来ちゃった。おや、どこへ行ったんだろう、見えなくなってしまった」
「不思議だねえ、雲なんてどこから出て来るんだろう。ねえ、西のそらは青じろくて光ってよく晴れてるだろう。そして風がどんどん空を吹ふいてるだろう。それだのにいつまでたっても雲がなくならないじゃないか」
「いいや、あすこから雲が湧いて来るんだよ。そら、あすこに小さな小さな雲きれが出たろう。きっと大きくなるよ」
「ああ、ほんとうにそうだね、大きくなったねえ。もう兎ぐらいある」
「どんどんかけて来る。早い早い、大きくなった、白熊のようだ」
「またお日さんへかかる。暗くなるぜ、奇麗だねえ。ああ奇麗。雲のへりがまるで虹で飾ったようだ」
こうした描写は賢治がどれだけ観察力から得る快楽を知っていたかの証拠になるでしょう。

観察力とは対象世界の律動を我がものとして自然と共振する快楽を生み出すことができます。この味を知った者は幸いです。


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