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水面をなでる風

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水面をなでる風 今日12/30撮影

好きでやっている写真ですが,ふと,気付くとろくでもないことも考えたりしています。
実はこのように写真撮ったり,アップしていますが,知らないうちに他の人様を不快にさせたりしていないだろうか,と思ってしまうことがあります。とにかく自分が何でも無自覚にいることが問題で,別に罰当たりなことをしているわけでもないからいいじゃないかと思うんですが,それは身勝手な自分の解釈で,罰当たりな自分にも気付いておらず,挙げ句の果てには自分に何らかの罰が当たっているのに,それにさえ無自覚でいる浅ましさは不思議に自分には納得できるような気もするのです。あまりにも美しい今朝の日の出の景色を見て,確かに心躍り,そして勿論写真も撮りました。しかしぼんやりと自分の写真は罰当たりな写真ではないだろうかと思ったりしてしまいます。自然の美しさに対しての失礼さと言うか,つまり美しい朝をうまく美しく撮れない自分の写真の未熟さのような罰当たりにも感じるのです。

このような妄想を続けていくと,思春期の頃に読んだ太宰治の短編「家庭の幸福」などを思い出します。「家庭の幸福」のラストは,あの有名な言葉,「曰く、家庭の幸福は諸悪の本(もと)。」でまとめられます。青空文庫でたった今また読んでみましたが,なんか人(自分)の至らなさが他人を不幸にしているのではないかという畏れがやっぱり自分にもあると感じてしまうのです。そうすると具体的な法律上は問題ないにせよ,自分の存在で他の人様に多大な影響を与えてしまっていること自体が「未必の故意」の概念に当たるのではないか。そこで「未必の故意」を調べてみると・・・。
「未必の故意」とは、自分の行為によって違法状態に至る可能性を認識しており、結果的に犯罪行為が発生してもかまわないという心理状態を表す法律用語です。
例えば、「横断歩道に歩行者が大勢いる交差点に、信号無視をして車で突入すれば、誰かが死ぬ可能性が高いが、誰かが死んでもかまわない」と考えて突入した場合「未必の故意」になります。
まあ,この場合「誰かが死んでもかまわない」というあからさまに強い表現になっていますが,もっともっと微弱な臆病な考え方で「申し訳なさ」と言いかえてもいいです。心理的な「未必の故意」とでも言うようなことが気になるのです。ちなみに未必の故意の説明と共に「認識ある過失」というのもあったので引用してみます。
「認識ある過失」、自分の行為によって違法状態に至る可能性を認識しながら、その発生を避けられるものと信じて行為したが、結果的に違法状態を発生させた状態をいいます。
例えば、「横断歩道に歩行者がいない交差点に、信号無視をして車で突入すれば、誰かが飛び出してきた場合死ぬ可能性はあるが、過去には一度も飛び出してきたことはないので大丈夫だろう」と考え、結果的に事故を発生させた場合「認識ある過失」になります。
非常に区別が微妙です。
ひねくり回しましたが,言いたいことは他人様に負の影響を及ぼしてはいないかということが心配なのです。はい。

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朝の色 今日12/30撮影

人間,状況的に証拠がそろうと意図していなくてもそういう意図があったのではないかと思われてしまうことは自然のことかもしれません。例えばクリスティの「うぐいす館」です。夫の机の奥から夫が以前に住んでいた町で起きた殺人事件の新聞記事の切り抜きが出てくる。へんな場所に工具が隠されていることを発見する。その工具は殺人事件に使われた凶器かもしれない。この頃,夫はよく家を空ける。何かを準備しているのでは・・・。妻はそれらの状況から次の標的は自分なのだと信じ,ノイローゼになります。こういったただの事実の羅列があらぬ状況への証拠となってしまう。そんな反転した解釈をつい人間はしてしまうものです。

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沈む三つ 内沼にて

あらぬことで疑われてしまう。意図しないところで犯人にされてしまう。まるでヒッチコックの映画を観るようなことも起きます。ヒッチコック映画は「巻き込まれ型」として有名ですが,状況が揃えば意図や心情は二の次になってくる事がこの頃よく起きています。報道の挙げ足取りです。言葉は人なりと言い,軽率な例え話をしたりするとその言葉だけがコピペされて大きく取り上げられるのです。浅い考え方は浅い短絡的な結末をねつ造してきます。

水面をなでる風は,波をつくりますが,わたしはこの頃,沼や川などは水深によって同じ風でも波の立ち方が違うのではないかと思っています。伊豆沼は浅いです。今日撮影した長沼は深いです。長沼の水面には同じ波でも美しい色が乗って,細かい波が揺れるようにゆっくりと立ち上がります。波は皆同じでしょうが,表面だけ見ても分からない現象もよく考えれば深い意味があるものだと思うのです。その点で写真も表面だけでは終わりたくないものです。


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